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7月17日(火)
『短編(5)』 Q&A
『悲しくてやりきれない』『トゥルボウ』『Ohio』

左から『悲しくてやりきれない』澤千尋監督、『トゥルボウ』多田昌平監督、『Ohio』前平誠一郎監督とアヤを演じた西川綾乃さん


 短編コンペティション上映の最終グループとなる『短編(5』には、ナイーブな若い世代の内面にフォーカスする作品が揃った。無論、その角度や見せ方には監督ごとの個性が見事に現われている。人との深いつながりを求める流れが存在するいま、いずれの作品もそれぞれ何らかの余韻を残してくれるだろう。


 澤千尋監督『悲しくてやりきれない』は、1970年の地方都市を舞台に高校生の揺れる心理を描いた作品だ。1981年生まれの澤監督は「この時代がずっとうらやましかった」と語る。「若者が本気で何かを考えて生きてきたと思います。また、この世代の人たちが必ずと言っていいほど覚えているのは“三島由紀夫が自決した時になにをしていたか”なんですね。その印象的な出来事を描きたいと考えました」。


 「戦争で空襲等を受けていないので、古い建物がいい状態で残っている」と、大分県別府市で4日かけて撮影。70年代を意識して、画面の色味など日活ロマンポルノ風なものを目指したとしている。この微妙に古くさくもどこか懐かしいタッチは、観る者にある種の甘酸っぱさも感じさせるだろう。そこで描かれる高校生たちの姿は、不思議なまでに心に残る。


 アルバイトの雇い主に連れて行かれた山中の畑で、青年が収穫する“フシギな何か”。現実と夢のはざまに存在するスキマのような時間を描いたのは、多田昌平監督の『トゥルボウ』だ。「一緒になったおじさんたちから“バイトが続かない”というボヤキを聞きながら仕事をして、終わる頃に“明日も来れんのか?”なんて言われるとちょっと嬉しい(笑)。そういう体験を設定に使いました」と、あくまでもよくある日常として描き通している。


 若者が山中で遭遇する“収穫物”は、鑑賞者すべての予想を大きく裏切るはずだ。それでも若者のと雇い主の会話はどこまでも“普通”とする淡々とした脚本がおもしろい。不条理コメディとして観ることもできるが、それだけではない。「最初は暗い感じで、最後は心に希望が出て景色が少し色づく感じになればいいという意図がありました」と語る細かい作りが、青年と雇い主のささやかな交流を暖かいものに見せている。


 突然異母妹と預かることになったイラストレーター志望のアヤ。前平誠一郎監督『Ohio』は、無愛想な妹サナと夢と現実の間で葛藤するアヤの交流を描いた作品だ。「去年(2011年)の今ごろは、これからの日本はいったいどうなるんだという不安が充満していました。その不安を、根本的な解決にはならないせよ、和らげることはできないかと考えました」と監督はその制作意図を語る。


 そこで選んだ題材は、不安の隙間にある小さな親切や優しさ。「人と人が一番最初に出逢ったとき口にするのは、『初めまして』や『おはようございます』ですよね。その『おはようございます』が「Ohio」と似ているところからタイトルにしました」と、タイトルにも出会いがもたらす希望が込められている。ある種不器用な姉妹が迎える結末、一筋の希望にも見える選択は、ぜひ実際に劇場で鑑賞してほしい。


短編(5)』は、21日(土)10:00より映像ホールでも上映する

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