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7月20日(金)
『我が子、ジャン』ラシト・チェリケゼル監督、ブラク・アキディルP Q&A
「すでに描かれているテーマでも、重要なのはそれをどう表現するかにある」

左から ラシト・チェリケゼル監督、ブラク・アキディルP(プロデューサー)


 長編コンペティション部門への出品作『我が子、ジャン』は、不妊やネグレクト(育児放棄)といった事柄をストレートに描いた一本だ。トルコの首都イスタンブールで低所得者層に属する若い夫婦は、夫が無精子症のため子どもを持つことができない。悩みを周囲に打ち明けることもできず、夫は違法とされている子どもの買い受けで問題を解決しようとする。

 この難しいテーマに挑んだラシト・チェリケゼル監督は、トルコで多くのテレビシリーズを手がけている。「彼との関係は8年前から始まった」とするプロデューサーのブラク・アキディル氏は、「それまでは彼の手がけたテレビシリーズを観て、非常に成功した人だと思っていたが、実際に仕事をしてみると非常に楽しい人だった」とその人柄を語った。とはいえ、真摯に物事を捉えるチェリケゼル監督の実直な性格は、作品の隅々に現れていると言えるだろう。


 「この映画に登場するような低所得者で、かつ保守的な社会に生きる人々は、いまもトルコに存在しています。そういう人々は、他人に相談することなく悩みを抱えてしまいがちです。私は彼らの人生や生活に関する映画を作りたかったのです」


 映画という手段で表現することにおいて、「多少誇張している部分はある」とチェリケゼル監督は語る。この「映画ならではの部分」も、作品における見所のひとつだ。子どもを買おうと決意するに至った経緯に始まり、買い受けた子どもをうまく愛することができない夫婦の葛藤、そして夫が家を出た後の7年後を交互に見せていく見事な構成により、観客は自然と作品に引き込まれていく。


 「現代の映画はたとえどんな内容であっても、すでに世界のどこかで作られていると感じています。しかし重要なのは、その内容をどう表現するかという部分です。監督はその表現の方法に力を入れなければいけません。過去と未来が入り組んだ流れを追ううちに、まるで一種のパズルが解けるように、映画に入り込むことができるでしょう。主人公と共に、問題を解くチャンスを与える効果もあると思います」


 その軸となるのは、トルコの有名女優セレン・ウチェルが演じた妻のアイシェ。監督と20年来の友人であるウチェルは、「脚本を書いている最中にその内容を話しても、全く問題がない」というほど気心が知れた人物だという。買い受けた子どもを持て余す葛藤や自身に言い寄る男に感じる苛立ち、家を出た夫に対する複雑な感情などを圧倒的な存在感で演じ切っている。監督の仕掛けたパズルに引き込まれた観客は、混沌とした彼女の精神状態に息苦しさを感じるほどだ。


 出口がないようにも思える作中において、唯一の光となるのはあどけない子どもジャンの表情だろう。ほとんど話さない設定だが、「ラストで垣間見える開放感を際立たせるためにあえてそうした」とも監督は語る。絶望に満ちたアイシェの世界にさす唯一の光として、やはり忘れがたい存在感を放っている。


 また、Q&Aの冒頭と途中、最後の瞬間まで「日本で上映できることの感謝」を繰り返した両氏。トルコは親日国として有名だが、そこに映画製作者としての「鑑賞者へのまっすぐな感謝」が存在していた。チェリケゼル監督は、最後にこう締めくくっている。


 「世界中のさまざまな映画祭に参加して、評価や良い質問をいただいていますが、日本へ行きたいという特別な気持ちがあったので、今回は実現できてとても光栄です。自主映画とは、支え合いを必要とするもの。利益を最初の目的にするというより、撮影や監督、みなさんの支えが重要となります。この場を借りて、そういった皆様にも感謝の言葉を捧げます」

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