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【インタビュー】『明日を夜に捨てて』張蘇銘監督

――張監督は、森田芳光監督に憧れて日本で映画を学ぶことを目的に来日されたと聞いています。その経緯をうかがえるでしょうか?

高校生のときに森田芳光監督の映画にハマっちゃって、日本の大学で映画を学びたいと思い立って両親に相談して留学を決意しました。

――それで日本映画大学へ進まれた?

 

いや、それがちょっと紆余曲折ありまして(笑)。はじめの2年間は、日本語学校に通って日本語を学ぶことになりました。その学校のスタイルが、授業はほぼ午前中だけで、午後は日本の文化を良く知るためにアルバイトをしたり別のことを学んだりしていいという形だったんです。で、僕はバイトを始めることにしました。それがスチールのカメラマンのアルバイトである会社に所属して働き始めました。そうしたら、スチールカメラマンとして中国のファッション系の雑誌などから依頼を受けるようになって。事情はわからないですけど動画系のカメラマンが人材不足だったみたいで、「写真撮れるなら動画もいけるでしょう」みたいな感じで会社からお願いされて、映像系の撮影カメラマンの仕事もするようになったんです。

 

いつの間にか映像の仕事をするようになっていたところで、その会社はもうないんですけど、当時の社長の薦めもあって、日本映画大学に進むことになりました。ほんとうは
日本大学芸術学部を目指していたんですけど、落ちてしまって。まあ、日本映画大学を開いた今村昌平監督も僕は尊敬する監督だったので、いいかなと思って進むことになりました。

 

――そこから本格的に映画を学び始めた。

 

そうですね。ただ、監督コースではなかったんですよ。撮影照明コースで入ったんです。当時は映画を作りたい気持ちはありましたけど、必ずしも監督志望というわけではなくて、どんな形でもいいので映画に携わるなんらかの仕事に就けないか考えていたので技術系のコースをとりました。

 

ただ、大学に通い始めて撮影と照明についてばかり学んでいると、さすがに大学生活の後半のころはちょっと飽きてくる。それで大学三年生のときに短編映画を仲間と自主制作したんです。それが2022年の<ごった煮映画祭り>に入選して下北沢トリウッドで上映された『都市の上に浮かんだもの』になります。

 

そこで監督に目覚めたといいますか。やっぱり映画監督として映画を作るのがおもしろいなと思ったんです。あと、撮影照明コースだったんですけど、監督・演出コースの同期との方が話が合うんですよ。だから、自分は演出する側の方が向いているのかなぁとも思いました。

そこで改めて映画監督のことを学びたいと思って、日本大学芸術研究科大学院に進みました。今度は落ちないで無事入ることができました(笑)。

 

――そういった経緯があって、今回の『明日を夜に捨てて』はどのようにして企画が始まったのですか?

 

日本大学芸術研究科大学院で修了するためには必ずしも映像作品でなくてもいい。論文でもいい。ただ、せっかく映画のことについて学んだので1本は映画を作りたい。そこで脚本家志望の同期と一緒になにか作ろうということになりました。

 

――まずは脚本作りからスタートした?

 

そうですね。僕と脚本家志望の同期の高山(暖)と、そこに彼の知り合いの小説家を目指している夏井(紀章)さんも加わってシナリオを考え始めました。どういう物語にしようとかもまったくアイデアがなかったんですけど、三人であるときお店で飲んでいたら、外を女の子がなにか叫びながら走り去っていったんです。この光景がめちゃくちゃおもしろくて、そこで「これを基に何か考えてみようよ」ということになりました。ほんとうに大々的なテーマはなしで、このちょっとしたアイデアからスタートしました。

――作品は、風俗嬢のアヤとアスカが主人公。正反対の性格だがなぜか気が合う二人は、一緒になれば他愛のない話に花を咲かせる。

喫茶店からはじまってタバコスペース、送迎車のなか、そして突然投げ出された夜の街で繰り広げられる二人のおしゃべりが映し出されます。ただ、その何気ない日常のひとコマにすぎない会話のやりとりから、不思議と時代の空気であったり、いまの社会の現実であったり、人間の心模様であったりが浮かびあがってきます。

 

いまの僕と同世代の監督たちが作る映画を映画祭などでいろいろとみるんですけど、中国も日本も、たとえば家族の死の問題だったり、若者が社会にうまく適応できないで悩むであったりとか、そういう深刻なテーマを扱った作品が多い印象があるんですよね。

そういう自身や社会の切実な問題を描くことは大切だと思います。けど、自分が作りたい映画ではないなと思ったんです。

僕は、そういった問題に言及するよりも、そういう時代の中にいる今回であれば二人の若い女の子が、どのようなことを感じて、どんなことを思い、どのように生きているのかを描きたいなと。

 

――主人公を風俗嬢という設定にした理由は?

 

リサーチを兼ねて風俗産業で働く女性を何人かインタビューをしたんですけど、おそらく一昔前であったら借金を返済するためなどの理由が多かったと思うんです。でも、いまは合理的といいますか。たとえば1日で1週間の生活費が賄えるからとか、ギャランティがいいので抵抗はないとか、割り切ったドライな感覚で働いている方が多かったんです。深刻な問題を抱えているような方はあまりいなかったんですね。

そのとき思ったんです。「少し前は、風俗の世界と普通の人たちの日常生活ってかけ離れているようなイメージがあったけど、いまはさほど離れたところにないな」と。

で、その視点がおもしろいと思ったんです。

 

風俗嬢を通して、刹那的に生きる若者の無力や望み、いまの社会に対する空虚感といったことが浮き彫りになるんじゃないかと。そしてそれは風俗嬢だけではなくて、いまの若い世代の考え方や世の中に対して抱いている不満であったりと、さほど離れていないんじゃないか。主人公のアヤとアスカは今を生きる若者の姿の象徴になるんじゃないかと思ったんです。

 

――アヤ役の小日向雪さんと、アスカ役の木越明はどういった経緯で?

 

小日向さんとはすでに自主映画の現場で出会っていて、そういう関連の飲み会で顔を合わせてもいて知り合っていたんです。で、たまたま彼女のインスタグラムのストーリーを目にしたときに、木越さんとツーショットの動画があって。二人で雑談したり、ワイワイしたりしてるだけなんですけど、なんかめちゃくちゃ良かったんです。ちょうどそのころ、今回の脚本を書いていたときで、主人公の二人にぴったりだなと思って、「やってみませんか?」と声をかけました。

 

で、脚本は途中の段階だったんですけど二人に承諾いただけたので、アヤとアスカは二人に決めて。その段階で出来上がっていたところを本読みしてもらって、そこでのやりとりを聞いて、改めて二人のキャラクターであったり、声のトーンであったりを反映させてアヤとアスカを作り上げていきました。だから、アヤとアスカはあてがきに近いところがあります。

 

――特に大きな出来事や事件が起きるわけではありません。でも、アヤとアスカが醸し出す空気だったり、彼女たちの間に流れる時間であったり、二人が交わす何気ない会話であったり、その瞬間瞬間がひじょうに映画の魅力になっていると思いました。

 

僕はまだ20代でそこまで多くの人生経験はない。だから、たとえば熟年の夫婦の離婚の問題とか、本格的な歴史ドラマとか、大人のラブストーリーとか作るのは無理なんですよ。もしかしたらちょっと頑張ればできるかもしれないですけど、でもかなり無理がある。まだ20代の自分ができることは同世代の若者を描くことしかない。ですから、変に背伸びをしないで、自分がわかることを丁寧にしっかりと描くことに集中しました。

 

大それたテーマやドラマチックな出来事がなくても、登場する人物が魅力的に映るようにしっかりと描けば映画は成立する。そのことを森田芳光監督の映画が教えてくれていましたので、ほんとうにいまの自分が無理なく描けることを描くように心がけました。アヤとアスカが魅力的に映っていたらうれしいです。

――初の長編映画を完成させて、いまどういう気持ちですか?

 

このようにSKIPシティにも入選してすごくうれしいんですけど、ちょっと心残りがあるといいますか。いろいろとやり直したい、撮り直したいところがいっぱいあります。というのも撮影の許可やスケジュールの問題で、かなり限られた時間で撮影をしなければならなかった。たとえば、僕としてはここで13カット撮りたいのだけれども、許された撮影時間が2時間とかあって、どう考えても撮り切ることは不可能。ということで泣く泣く諦めたカットとかあるんです。あと、僕はキャストのみなさんには嫌がられるのかもしれないんですけど、テイクを重ねるタイプの監督で。テイクを重ねることでいろいろと新たなものが出てくるところがあるので、できれば納得いくまでテイクを重ねたいんですね。でも、時間に追われることがあって、打ち切らざるをえないときもあった。なので、けっこうここやり直したいとか、ここを新たに取り直したいとか、ここ新たにシーンを追加したいというところがあるのと、もっともっといけたんじゃないかなぁと思うところがあります。

 

――聞くまでもなく影響を受けたのは森田芳光監督だと思うのですが、どこが一番惹かれるところですか?

 

森田監督はジャンルを問わないで、どんな作品も手掛けることができる。僕が一番最初に見た『それから』のような文芸映画もできれば、『の・ようなもの』のようなコメディ・タッチのもの、『失楽園』のような刹那的な男女の物語も、『家族ゲーム』のようなホームドラマも、軽い話から深い話まであらゆる作品を作ることができる。しかも、どんな作品においても、芸術性と娯楽性=商業性をしっかりと融合させている。

映画の芸術性と商業性を絶妙なバランスで融合させている僕の中で一番の監督が森田監督です。だから、繰り返し何度見てもおもしろい。たとえばテーマはめちゃくちゃシリアスで大真面目なのに、そこにちょっとふざけたような笑いの要素を入れてくる。そういった映画が中国にはあまりないんですよ。分かりやすい例で言うと、伊丹十三監督の『お葬式』のような映画はない。

そこが憧れるところで、自分も森田芳光監督のような映画を作ってみたいと思うところです。

 

――今回の入選の報せを受けての心境は?

 

日本映画大学や日本大学芸術研究科大学院でお世話になった先生から、SKIPシティやPFFに入選することは至難の業で、入選したらそれだけで「誇っていい」といった主旨のことを聞かされていました。だから、もうSKIPシティ国際Dシネマ映画祭は、自分にとっては雲の上のような存在で、まさか入選できるとは思っていませんでした。

だから、もう腕試しに応募したところがあったんですよ。それがこのような好結果を得ることになって信じられないです。

朝起きたときにメールが届いていることに気付いたんですけど、入選の文字を見た瞬間からスタッフとキャストに電話をしまくりました。全員で大喜びしました。

 

――映画祭の場で期待していることはありますか?

 

いや、もう入選できただけで十分です。もう自分の作った映画が大きなスクリーンで上映されるだけで感謝しかないです。これ以上のことは望みません。ただ、これで観客賞をいただけたら、さらに最高です。そのあと、1カ月ぐらいはずっと幸せな気分でいられると思います(笑)。

 

『明日を夜に捨てて』作品詳細

 

取材・写真・文:水上賢治


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