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【インタビュー】『東京の青稞酒』楊宇安監督

――今回の作品は、武蔵野美術大学の卒業制作作品になります。楊監督は中国上海出身。日本の大学で映像制作を学ぼうと思ったきっかけを教えていただけますか?

 

「きっかけは2つありました。まず、わたしは日本のカルチャーが大好き。AKB48の大ファンになって日本に興味をもっていました。このことが1つ。もう一つのきっかけは、偶然の流れといいますか。父がテレビのドキュメンタリーなどの撮影監督の仕事をしていて。その関係で子どものころから父に連れられて映画の現場によく行っていたんです。ただ、わたしは現場の舞台裏をいろいろと見過ぎてしまって映画への憧れのようなものは一切抱きませんでした。父が映画のすばらしさを説くのも嫌で、それに従いたくなくて『絶対にこの道にだけは進むまい』と心に決めたんです。でも、高校生のときにその気持ちが一転する出来事が起きました。父の薦めでホウ・シャオシェン監督やエドワード・ヤン監督の作品を見たんです。もう夢中になって、『映画って素晴らしい』と心の底から思いました。そして、一転して『わたしも映画を作ってみたい』と思うようになってしまったんです。ただ、そのときはもう高校三年生で、中国の映画関連の大学を受けるにはもう遅すぎました。なので、中国の大学でまずは日本語を学んで、卒業後、日本の映画学科のある大学への進学を目指すことにしました」

 

――それで、中国の大学を卒業後、武蔵野美術大学に進まれて映像を学ぶことになったということですね。では、同大学卒業制作作品の『東京の青稞酒』について聞いていきたいのですが、チベット仏教及びチベットが作品の背景にあります。以前から興味をもっていたのですか?

 

「父が以前、チベットについてのテレビドキュメンタリーの撮影監督を務めたことがありました。以来、父はチベットにはまってチベット仏教を信仰するようになりました。だから、自宅に仏像が置かれたりしていて、それをわたしは中学生ぐらいから見てきたんです。正直なことを言いますと、わたしはチベット仏教の教え、輪廻転生の信念や死後の生まれ変わりといったことをあまり信じていません。ただ、信仰する父の姿をずっと見続けてきたので、ちょっとだけ興味をもってはきました。

 

ただ、なんでチベットを題材にしたかは、ちょっと別の要因なんです。主人公のゾマ役の格桑梅朵(ゴーアサン・メイドゥオ)さん、わたしはメイちゃんと呼んでいるんですけど、彼女は同じゼミの大学の同期。実は彼女、チベット人なんです。それで卒業制作をどうするか模索しているとき、私は何を撮るかは決めていなかったのですが、撮影は父に頼もうと考えていました。一方で、メイちゃんは自身のルーツであるチベットについての作品を作ろうとしていることを知ったんです。そのとき、ピンときたといいますか。父はチベットに行ったことがあって詳しいし撮影もできる。だったら、一石二鳥じゃないですけど、ガイド及び撮影監督ができる味方もいるし、チベットに行って、お互いの卒業制作を撮ればいいのでは?と思ったんです。そのことがチベットを背景にした物語を作ることになったきっかけでした」

©ヨウウアン

――そこからどのようにして脚本は出来ていったのでしょうか?作品は、ゾマという若い女の子が主人公。彼女の父親は、1900年ごろ、仏教の原典を求めて当時鎖国をしていたチベットに入り、のちに日本に帰国した日本人僧侶、河口慧海の足跡を辿る旅に出てそのまま家に戻ってこなかった。家庭を捨てて日本に渡った父のことが愛憎渦巻きながらもどうしても知りたくなったゾマは、チベットから日本へ向かい、父親が残した写真や手紙を頼りに行方を探し始めます。ただ、すでに亡くなっていることが判明する。

一方、ゾマの宿泊先の店主の小林はまだ父の死という現実を受け入れられず、立ち直れていない。まるで祈りを捧げるようにいろいろな場所の音を録音しながら父を悼む日々を送っている。

そんな大きな喪失を抱えた二人の心の行き着く先が描かれます。

 

「河口慧海のことやチベットの文化やチベット仏教のことなどが盛り込まれてはいるのですが、ベースとしてはシンプルに自分と父の関係を描こうと思いました。どこかで一度、書きたいと思っていたんです。さきほどお話ししたように、父は撮影監督の仕事をしていますが、映画監督になることが夢でした。自分で自分の映画を作りたかった。いま上海で映画クラブみたいなグループを作って、短編は何本か作ったみたいですけど、長編映画を作る夢はいまも叶えられていない。そういう経緯があって、いつからかその夢を私に託すようになりました。それが嫌で、私は映画が大好きで映画を学ぶことにしたのですが、実は武蔵野美術大学進学後も、しばらくは自分は映画を作りたいのか、映画監督の道に進みたいのかどうかわからないでいました。父からの影響で、自分は映画を作りたいと思い込んでいるだけのような気がしたんです。それから父は私のことよりも映画を愛しているとずっと思ってきました。そのような父との関係を描こうと思いました。ですから、ゾマには、わたし自身が反映されています。ゾマは家族を捨てた父のことに憎しみがないわけではない。でも、愛している気持ちが残っている。私も父にある種の憎しみを抱きながらも、無碍にはできないでいる。

 

また、ゾマの父には、私の父親が反映されています。ゾマの父親はチベット仏教にのめりこんでしまった。わたしの父は映画に人生を捧げている。わたしの父は、小林にも反映されています。小林はどこか現実を見ないで夢の世界で生きているところがある。私の父もいわずもがないまだ夢を追い続けているところがあります。

 

ですので、ベースには私と父の相容れない関係があります」

 

――ただ、作品は、喪失を抱えたゾマと小林が人種や言葉の壁、年齢差など関係なく互いに互いを思いやり、心がつながる心温まる物語になっています。

 

「そうですね。そこは私の願望かもしれません(笑)」

 

――作品の舞台裏についてもいくつか知りたいのですが、まずチベットでの撮影は大変ではなかったですか?

 

「当初の予定よりも大幅にオーバーして1カ月ぐらいの撮影になってしまい、標高4000メートルぐらいでの撮影もあったりしたんですけど、楽しかったです。とにかく父がチベットのことが大好きなので、ノリノリでやってくれたのでよかったです。チベットの僧侶や活仏の方が出演してくださっていますが、みなさん本物です。ほんとうに親切な人が多くて、撮影でなにか困ったことはほとんど記憶にないです。楽しい思い出しかないです」

 

――ゾマ役は最初からメイさんにお願いしようと思ったのですか?

 

「はい。彼女はわたしとは違って明確に監督を目指しているんですけど、絶対に演技もできると思って、実は脚本を書き上げるよりも先に主演を務めてほしいとお願いしました」

 

――夜に涙を流す場面がありますけど、あそこなどすばらしいです。

 

「めちゃくちゃいい演技をしてくれたと思います。ただ、あの夜の泣くシーンについては不満があるんですよ。メイちゃんじゃなくて父に。実はあのシーン、微妙に映像が揺れているんです。なんで揺れてしまったかというと、実は、メイちゃんの演技を見ていた撮影監督の父が号泣してしまって手が震えてしまってそうなってしまったんです。一瞬、取り直そうと思ったのですが、もうこれ以上のシーンはないと思ってやめました。父は、小林が涙するシーンでも泣いてしまって画面が微妙に揺れている。ほんとうに涙もろくて困ったものです(笑)」

 

――先ほど、「喪失を抱えたゾマと小林が人種や言葉の壁、年齢差など関係なく互いに互いを思いやり、つながる」と言いましたが、そのことを物語るのが二人が青稞酒を酌み交わすシーン。ここは見てのお楽しみであえて伏せますけど、大胆な演出になっています。この発想はどこから出たんですか?

 

「はじめは、それこそ互いに言っていることがある程度わかるような形にしていたんです。でも、なんかもうそういうことじゃないんじゃないか、気持ちと気持ちでつながるみたいな感じでいいんじゃないかということで、あのようなやりとりになりました。いろいろと意見はあると思うんですけど、私としてはいいシーンになったんじゃないかなと思っています」

©ヨウウアン

――では、完成した作品が入選の知らせを受けたときの気持ちは?

 

「うれしかったです。この前に『映画の夢』(2023年制作。第26回京都国際学生映画祭グランプリ受賞作)という監督第一作があるんですけど、そのときは自分が監督したと思えないところがありました。というのも、ずっと父からのアドバイスを受けて脚本ができていって、撮影も父だったのであれこれ言われて、『これって父の作品じゃない?』との思うところがありました。でも、今回に関してはチベット語と日本語で、どちらの言葉も父はわからない。わからないから父には撮影に徹するようお願いしたんです。ですから、今回、わたしは自由に自分のやりたいようにやることができました。自分が監督を務めることを自覚して、すべて責任をもって取り組んだところがあります。ですから、入選というのは、自分の監督としての仕事が認められた気がして喜びもひとしおでした。いまから映画祭での上映が楽しみです」

 

――現在は、日本を拠点に活動をしているとお聞きしています。

 

「いまはテレビドラマや映画のライン・プロデュースをメインにした制作会社で働いています。いくつかの撮影現場も経験させていただきましたけど、プロの現場はやっぱり大変ですね。わたしは友だちと一緒にワイワイいいながら映画を作った大学時代の現場の方が好きです。だから、まだ今後どうするかは考え中です。自分は監督よりも制作サイド、プロデュースなどの方が向いているかもしれないと感じてはいるのですが、いまはいろいろな経験をして、最終的に進みたい方向を見つけられればいいと考えています」

 

――でも、お父さんは監督になることを望んでいるのでは?

 

「この前も『いま脚本を書いていて出来たらお前に監督をさせたい』という連絡が入りました。わたしは少し手伝ってはあげるけど『自分の脚本は自分で監督して撮ってください』と伝えました(笑)」

 

『東京の青稞酒』作品詳細
取材・写真・文:水上賢治


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