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【インタビュー】『そして、今日も生きる』サイラス・望・セスナ監督
――本作『そして、今日も生きる』を作るきっかけとして知人の自殺による死があったと伺いました。お話しできる範囲でどういうことがあったのか伺えるでしょうか?
「亡くなった知人は、ナレータ−とボイスオーバー(※元の外国語の音声を小さな音で残しながら、別の言語の音声を重ねる手法。ニュースやドキュメンタリーの映像などでよく使われる)の仕事仲間でした。彼はアメリカ人でしたが日本人の女性と結婚して娘さんもいて日本で暮らしていました。出会ったころは仲が良かったんです。ただ、彼が右翼的思想が強くなって完全にトランプ支持者になってしまってからは会う機会が減っていきました。そんな疎遠になっていた2022年9月に共通の知り合いから彼の悲報を受け取りました。
葬儀に参列したのですが奥さんはもう涙で立つことがやっと。8歳の娘さんもこの現実を完全には理解していないように見受けられました。知り合いと話して彼が鬱病でひどく苦しんでいたことを知りました。僕もしばらくは心の整理がつかないでいたんですけど、少ししたときに考えたんです。『もし彼が自分の家族に死にたい気持ちを正直に吐露できていたら、防ぐことができたのかな?』と。この疑問が今回の作品の始まりでした」
――そこから、どのように脚本作りは進んでいったのでしょう?おそらくご両親が外国出身だけれども、日本で生まれ育ったという監督自身のルーツやアイデンティティを反映させた脚本になっていると思うのですが。
「亡くなったアメリカ人の知人が日本で生きることにどれだけの悩みを抱えていたのかは今となってはわかりません。でも、少なからず生き辛さを感じていた。そのことは僕自身にも重なったといいますか。自分の両親は外国人ですが、僕自身は日本で生まれ育ちました。両親は日本で暮らし続けるであろうことを想定して、教育方針として僕と兄にネイティブ並みになるよう日本語を徹底的に学ばせました。だから、自宅では英語、一歩外に出ると日本語みたいな日々をずっと送ってきたんです。でも、いくら日本語が流暢であろうと、日本の伝統や文化、ルールがわかっていようと、日本住民として受け入れてもらえないと感じる瞬間がある。今でもそういった自分が疎外されている、受け入れられていないという辛さをいろいろな場面で体験しています。そういうことが重なり、健康問題もあった事で何年か前に僕自身、生きる気力を失って自殺を考えてしまった時期があったんです。それで、亡くなってしまった知人と、外国人の両親を持ちながら、日本で生まれ育った自分の苦労や困難を結びつけて語ることができないかと考えました。
あと、僕のような立場にいる存在を『サードカルチャーキッズ』(※両親の文化(第一文化)と実際に生活している国の文化(第二文化)という異なる文化の中で育った子どもたちのこと)に関する映画や本を見たことがない。じゃあ、当事者である自分が、サードカルチャーキッズについての映画を作ってやろうという気持ちで取り組みました」
©Cyrus Nozomu Sethna
――作品は、ある朝、男が妻のミドリに爆弾発言をするところからスタート。その発言を実行しないようミドリと娘のサヤが男の説得に走ります。ひと言で表せば、会話の応酬で。これはもう見てもらうしかないのですが、監督が日々感じてきた嘘偽りのない言葉がつまっている気がしました。中には、ひとりの日本人として、気をつけなければいけない、耳の痛い言葉もあります。
「ほとんどが自分が日本での生活の中のある局面で感じたことを、包み隠さずそのまま言葉にしたところがあります。セリフではあるのですが、セリフじゃないというか。その場で口にしたことをそのまま出している感じです。辛辣に感じる言葉もあると思うのですが、日本のことを否定しているわけではありません。あくまで僕のような立場にいる人間がどのようなことを感じて生きているのかを知ってもらえたらと思いました。そして、国とか人種とか関係なく、人として向き合うことの大切さみたいな意識に結びついていってくれたらと考えました」
――監督自身が演じられた主人公の男が本心をぶちまけていく。一方で、その言葉をしっかりと受けとめて、打ち返さなくてはいけない妻のミドリと娘のサヤも重要な役割を担っていたと思います。ミドリ役のしゅはまはるみさん、サヤ役の菊池リラさんとはどんな話し合いをもったのでしょうか?
「二人にはほんとうに助けられました。というのも、僕自身が演じる男のいう言葉は、僕自身が日々感じてきたことを基にしての言葉なので自信がありました。ただ、妻のミドリと娘のサヤの言葉や考えについては、そこまで自信がありませんでした。だから、二人にはセリフに違和感がないか聞いて、少しでもあるようだったら変えていいと伝えました。すると、二人とも『こんな言い方をしない』とか、『ここはこう感じるんじゃないかな』とか、アイデアをバンバン出してくれました。そこでどんどん脚本も改稿していったんですよね。たぶん、いままでで一番、脚本を書き直したと思います(苦笑)。ただ、そのおかげでセリフが研ぎ澄まされていきました。また、セリフが研ぎ澄まされて違和感のないものになったことで、男とミドリとサヤの交わす会話も非常にリアルで、よりナチュラルな家族のやりとりになっていったんですよね。これはお世辞でもなんでもなく、二人のおかげで作品がどんどんブラッシュアップされていきました。
少し裏話をすると、たった1日で撮った作品なんです。事前に3、4回ぐらいリハーサルを重ねて。そして本番5日前に、舞台となるあの部屋にスタッフとキャストで出向いて、アングルやカメラワークも入念に決めて、準備万端の状況で1日で撮りきることを決めました。そして実際に1日の撮影で撮り切りました。そのことも含めてしゅはまさんもリラも大変だったと思います。まさに時間との闘いでしたからプレッシャーもあったと思います。ですが、二人ともすばらしくて当日も、やはり『ここはこう変えた方がいいと思う』といったアイデアを出してくれて最後の最後までよりいい作品になるよう尽力してくれました。ですから、僕の中では、自分の監督作品というよりも、三人で力を合わせて作った映画という意識が強いです。二人には感謝しています」
©Cyrus Nozomu Sethna
――今回は8年ぶりの作品になるとこのこと。ここまでお話しを聞くと、俳優もされたり、ボイスオーバーの仕事もされたりと活動は多岐にわたっているようですが、メインは映像制作ということになるのですか?
「いろいろとやっています。なかなか説明するのが難しいのですが会社を経営していて、たとえば日本語のコンテンツがあったとします。それを中国や欧米向けにするときに、中国語や英語のボイスオーバーやナレーションが必要となる。そのナレーションを自分でやることもあれば、別のナレーターを手配する仕事もやっています。また、別のナレーターが担当したとき、そのディレクションを僕が担当することもあります。字幕の制作などもしています。
これまでのキャリアについてお話しすると、もともとは俳優を目指していました。アメリカの大学で舞台演劇を学び、舞台俳優としてキャリアをスタートさせました。ただ、ここだと日本語ができてもこの顔ですから(笑)、なかなか日本では活躍の場がない。それで声優の業界へ進むことにしました。そのうちに英語監修や通訳の仕事をするようになって、映画やテレビの撮影現場に立ち合う機会ができたんです。そこで、撮影の合間とかに、撮影監督をはじめとした技術系のスタッフに僕が質問すると、みなさん親切でいろいろと教えてくれる。そのような話を聞いているうちに、自分も作ってみたくなって、2013年に『松濤ストーリー』という作品を作って、映像制作もするようになりました。『そして、今日も生きる』は4作目になります」
――今回の入選はどう受けとめていますか?
「うれしかったです。報せをうけてすぐに兄に『SKIPに入選した』とLINEをしたのですが、喜んでくれました。実は、SKIPシティの映画祭に参加するのは2回目になります。今から16年前、2009年の長編コンペティション部門に入選した村上祐介監督の『カケラ』に僕は出演していて、映画祭に出演俳優として招待されてQ&Aなどにも参加させていただきました。今回はそれ以来の参加で、今度は主演俳優と監督として戻ってくることができて光栄です。16年前も感じたことですが、SKIPシティの映画祭は、単なるエンターテインメント作品だけではなく、社会問題や政治を鋭く問うような作品も臆せずとりあげてくれる。人と人のつながりや人の心を大切にしてくれる、すばらしい人間性のある映画祭という印象があります。そのような場で自分の作品が上映できてうれしいです」
『そして、今日も生きる』作品詳細
取材・写真・文:水上賢治