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【インタビュー】『山のあなた』伊藤希紗監督


――長らく助監督の仕事を続けてきて、30歳を前に少し考えるところがあったと伺っています。

 

「そうですね。大学を卒業してすぐに映像業界に飛び込んで、現在も助監督の仕事を続けていますけど、もともとは監督になることを目指していました。

たぶん助監督をやっている人間のほとんどは助監督になりたいからなったわけではない。最初は監督を目指していたと思うんです。ただ、助監督を長く続ければ続けるほど、どうしてもそこから抜け出せなくなってしまう。はじめは自分の企画や脚本を考えていたのに、だんだんと仕事に忙殺されて職業助監督になっていってしまう。

それはそれでいいと思うんです。自分が納得できれば。ただ、僕は『ほんとうにこのまま自分の映画を作らないまま終わってもいいのか?』と自問した時に、『いや、このままじゃダメだ』と思いました。

 

いまの自分では『まずい』と感じたのは、2022年のSKIPシティの長編部門に入選した『ブルーカラーエスパーズ』の存在。実は監督の小林大輝は大学の同期で、一時期ルームシェアをしていたこともあったんです。その彼が入選して、『俺は何をやっているんだ!』と思って、恥ずかしいですけど嫉妬に駆られました。

それで『30歳を迎えるまでに絶対になにか1本、自分の映画を撮る』と心に決めました」

 

――作品は、まず中学生の頃に読んだ、カール・ブッセの詩「山のあなた」からインスピレーションを得たということですが?

 

「はい。詩の『山のあなた』は、詩なので人によって解釈が変わってくると思います。

僕自身は、山の向こうに幸せがあるというので全てを捨てて行ってみたけれど、見つからなかったみたいなニュアンスで受けとめたんですね。山を越えた先でちょっと途方に暮れるというか、戻ろうにも戻れない人生の迷いみたいなことが感じられる。

 

30歳が迫ってきたときに、その詩を読み直したらより心に沁みてきて。日大芸術学部映画学科の監督コースって、同期は40人いるんです。でも、卒業から8年経ったいま映像業界で働いているのはさっき話に出た小林と僕とあわせて数人しかいない。

 

確かに自分はこの業界で生き残ってはいる。だけど小林のように監督としての実績は積めていない。その時ものすごく不安になって、自分は、自分を信じてこの仕事をやり続けてきたけど、これでよかったのだろうか?違う道があったんじゃないか?とか、考え込んでしまったんです。

どっちつかずのところにいて、どこに向かうのかわからなくなった自分が、『山のあなた』の主人公と重なるように思えました。そこで『山のあなた』の詩から物語を膨らまし、何者にもなれていない、いま自分の中にある不安や恐れといったことを包み隠さず入れることで、映画を作れないかと考えました。ですから、今は少し状況が変わりましたけど、当時の僕の仕事上での悩みやキャリアへの焦燥感などが反映されています」

©柏井彰太

――作品は、人気のない真冬の冬山で、一人の青年が何の装備も持たずに山を越えようとする。その道中で、年代物の車に乗った老人と遭遇。しばしの間、時間を共有することになります。二人は互いに多くは語りません。でも、なにか心で通じることがある。その親密な時間を経て、二人はそれぞれに向かうべき方へと進んでいきます。寓話的でいろいろな解釈のできる作品になっています。

 

「そうですね。たとえば宮沢賢治の童話のような現実とファンタジー、生と死が交錯するというか。現実のようにも思えるけど、夢のようにも思える。本当のことのようにも、嘘のことのようにも感じられる。

でも、見終わったあと、あれはどういうことだったのか?あれはそういうことだったのか?そんな風にいろいろと思いを巡らせることのできる物語になればとの思いがありました。いろいろと解釈のできる、人によって感じ方が変わってくるものになっていたらうれしいです。ただ、映画の主人公の青年と同じように、この映画を作ることで僕も山を越えようとしたところがあるので、きわめて個人的な思いも入っています」

 

――では、キャスティングについても伺いたいのですが、主人公の青年役は、東龍之介さん。さまざまな作品に出ていますが、どういった経緯で?

 

「僕が助監督を始めたころから、現場で一緒になっているので、彼との付き合いはけっこう長いんです。僕がいろいろな監督の助監督をしているように、彼もいろいろな作品には出ている。ただ、ここも僕と同じで、決して順風満帆ではない。

だから、僕が小林に激しく嫉妬したように、彼も同世代の成功している俳優たちにすごく嫉妬していることがある。どこか鬱屈としたところがあって正直でいいなと思って。

彼の主演で何か考えようというのも実は今回の出発点のひとつにありました。この作品が、東くんと一緒に新たな一歩を踏み出すきっかけになればという思いもありました」

 

――青年と出会う老人役は、名バイプレイヤーとして大活躍されている酒向芳さんです。

 

「東くんを主演と決めたところで、彼が一皮むける、ひとつの試練となるような仕掛けを作りたいと考えました。彼の前に大きく立ちはだかる存在として、真っ先に思い浮かんだのが酒向さんでした。

 

老人役はちょっとただならぬ雰囲気の人がいいと思っていたので、酒向さんがぴたりとはまったんです。あと、酒向さんは『検察側の罪人』や『ガンニバル』など癖がある役のイメージが強いじゃないですか。僕は以前『ラーゲリより愛を込めて』の現場で一度ご一緒したことがあるんですが、実際の酒向さんは背が高くてすらっとしていてものすごくダンディで。とにかく洒落ててかっこいいんです。そんな酒向さんのかっこよさを引き出して、映画に活かしたい狙いがありました。

 

出演交渉する段階で、酒向さんにはアドバイスをいろいろといただいて。たとえば当初は、もっと説明セリフが多くあったんです。でも、短編作品だからセリフで説明しすぎなくてもいいんじゃないかと指摘されました。それで僕も改めて脚本を考え直してみると、確かに必要ないんですよ。元々『山のあなた』を作るにあたり、どれだけ説明を排して物語を語れるかを、自分の演出的な課題にしていたんです。

酒向さんの指摘があってからセリフをカットする勇気が出てきて、もう省けるだけ省いたんですよね。そのおかげでセリフは少ないですけど、すごく余白があっていろいろ考えをめぐらすことのできる作品になったと思います。作品をブラッシュアップしてくれた酒向さんには感謝です」

 

――酒向さんの壁を東さんは乗り越えることができたでしょうか?

 

「どうでしょう(笑い)。でも、彼にとって大きな経験になったことは確かだと思います。僕自身も監督として学ぶことが多かったです」

©柏井彰太

――久々の監督作ということで、現場に立ってみて、いかがでしたか?

 

「今回、久しぶりに映画の監督を務めて俳優さんに演出をつけたり、スタッフに自分の意図を伝えたり、カメラマンとカメラワークについて話し合ったりしたんですけど、いずれの場面においても助監督をやってきた経験が確実に生きていることを感じました。

これまでいろいろな監督の下でやってきましたけど、それぞれの現場で学んだことや各監督の演出をみて考えたこと、俳優とのコミュニケーションやスタッフワークの作り方など、自分の中でしっかりと吸収されていることに気づきました。

お話ししたように助監督の仕事が続いて30歳を前に『自分の映画を作らないとまずい』と思い立ったわけですけど、回り道のように見えて回り道ではなかった。これまで自分が助監督として経験してきたことは決して無駄ではなかった。そのことが実感できてうれしかったです」

 

――確かに助監督としてついた監督たちの影響を感じるシーンが随所にあります。ここは、黒沢(清)監督の影響かなとか。

 

「まあ、どうしても出てしまいますよね。特に黒沢監督から受けた影響はかなり大きいので出てしまっているところがけっこうある気がします」

 

――こうして心に期するものがあって完成させた映画です。入選の知らせを受けたときの気持ちは?

 

「シンプルに嬉しかったです。今までそれほど映画祭に縁がなかったので、始めは落選を伝えるメールかと思いました。でも、ちゃんと読んだら入選とあって、驚きました。

自分が描きたいと思ったことを作品にして、それがきちんと評価していただけたことは自信になりました。映画祭での上映でさらに多くの人たちの目に触れることになると思うので、みなさんがどんな感想を抱くのか、いまからとても楽しみです」

 

――では、最後にこれまでのキャリアについて少し伺いたいのですが、日本大学芸術学部映画学科監督コース出身ということで少なくとも高校の時には監督を目指されていたと察するのですが?

 

「そうですね。映画が好きになったのは小学生低学年のころ。うちは両親が共働きで、いわゆる僕は鍵っ子でした。それで親が家で一人で待っているのが寂しいだろうということでレンタルビデオで借りてきた映画ソフトを置いてくれていたんです。それが映画に触れるきっかけでした。

両親とも映画は好きだったんですけど、好みがまったく違う。父親はたとえば『ミナミの帝王』のようなVシネマが好きで、母親はアカデミー賞受賞作みたいなお墨付きのある映画が好きで。『岸和田少年愚連隊 カオルちゃん最強伝説』のときもあれば、『プライベート・ライアン』のときもあるみたいな感じで、ランダムに置かれているわけです。

それで映画を見るようになって、1番最初に好きになったのはチャップリンの『モダン・タイムス』。なんで白黒でセリフがないのにこんなに面白いんだろうと思いました。これが僕の映画の原体験で、映画が好きになるきっかけでした」

 

――そこから映画が好きになって監督を目指すことにした?

 

「それがそうでもないんです。漠然と映画に携わる仕事をしたいと思ったけど、そこまで腹を括る勇気がなかった。進学校の高校に進んだんですけど、僕は完全に落ちこぼれで。それでも大学は国公立狙いで受けたんですけど、全部落ちてしまった。

で、映画が好きということで思い出受験で、日本大学芸術学部を受けたら、たまたま受かってしまったんです。最初は浪人するかと思っていたんですけど、ここだけ受かったということは『ここに進め』ということじゃないか?と勝手な解釈で思い始めて、親を説得してどうにか入学させてもらうことができました。だから実は、映画をちゃんと勉強し始めて監督になることを意識するようになったのは大学に進んでからなんです」

 

――日本大学芸術学部映画学科卒業後、すぐにフリーランスの助監督に?

 

「卒業後、最初は制作部の仕事をしていました。半年やったぐらいで、ある助監督と出会い、演出部の仕事を紹介してもらったんです。普通は見習いからスタートするのですが、いきなりサード助監督をやることになったんですよね。そこから助監督人生が始まりました」

 

――黒沢清監督、瀬々敬久監督、成島出監督、山田洋次監督など、錚々たる監督たちの助監督を務めていくことになります。

 

「それぞれの現場で出会った人に仕事を紹介してもらい続けて、気づけばそうなっていたんですよね。これは本当にありがたいことなんですけど、でも自分はやっぱり監督として映画作りをしたいと、今回改めて思いました。昨日たまたま、SKIPシティで入選して受賞もした『カウンセラー』の酒井善三監督にお会いしたんですけど、念を押されました。『撮り続けなければダメですよ』と。ほんとうにそう思います。今回の『山のあなた』をきっかけに、これからは長編を視野に入れながら、短編でもいいのであまり期間を置かないで監督作を発表していければと思っています」

 

『山のあなた』作品詳細
取材・写真・文:水上賢治


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