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【インタビュー】『雨の方舟』瀬浪歌央監督

 

 

 

――『雨の方舟』は、2019 年度の京都造形芸術大学(現京都芸術大学)映画学科の卒業制作作品になります。

 

作品のはじまりは、私の記憶といいますか。山の中にある祖父母の家によく遊びにいっていたんですけど、訪れるたびに、家が古びていく。少しずつですけど着実に朽ちていく。それで、高校生ぐらいのときに、祖父に話すと『自分たちは滅びる文化だ』というような言葉がでてきた。ここのことがなぜか頭にずっとひっかかっていました。

 

家はもちろん、おじいちゃんの存在が居なくなることも、ひとつの文化が亡くなってしまうのではないか。そんな気がして、このことをどうにかして表現したい。そう思うようになりました。

 

――そこからストーリーはどうやってできていったのでしょう?

 

実体験として急に人がいなくなることがあって、それはさきほどの『滅びる文化』とも重なるところがあるように感じて。その日まで、そこにいた人、そこにあったものでもいいですけど、それがある日、突然消えてしまう。そうして残されてしまった人の世界をまず描いてみたいと思いました。

 

それから「食卓」を描いてみたい気持ちがありました。私は家族一緒で食卓を囲むということがあまりなくて。『雨の方舟』の前に短編の『パンにジャムをぬること』を作ったとき、食卓を囲むシーンがあって、配置を伝えたら、スタッフから「この配置はおかしくない?普通はこうじゃない」と指摘されたんです。

 

その経験があったので、私にとって「食卓」を描くことはひとつの課題だと思い、今回改めて取り組みたいと思いました。

 

私としては「その食卓の普通って誰の普通?」と思っていて。世間の普通を押し付けられたくない。食卓を囲むのは家族だけではない。なにか求めあう者同士が食事をともにする。生きていることを実感する場所として描けたらいいなと。

 

あと、脚本の松本(笑佳)には「湿度の高い物語でいい」と伝えました。しめっぽい物語でいいと。こうしたいくつもの要素が紐づきながらひとつの物語ができていきました。

 

――その物語は、なにかから逃れるように森をさまよっていた塔子が、行き倒れになったところである家の人間に助けられる。その家で暮らすのは、とくにつながりを感じられない男女4人。彼らの暮らしはどこからか食料を調達し、渓流で洗濯し、身体はドラム缶風呂で洗う、限りなく自給自足に近い。はじめは戸惑う塔子だが、しばらくするとその生活に馴れ始める。でも、なにかがおかしい。なにやら現実と夢の狭間にあるエアポケットにひとりの女性が迷い込んでしまったような不思議なストーリーが展開していきます。

 

ひとつ軸としてあるのは、何も知らない女の子が、いままで自分の中にまったくなかった価値観に触れて、自ら考えてどう生きていくのかを決める。この過程を描きました。

 

でも、自分としてはレイヤーを重ねているので、いろいろと自由に解釈してもらえればいいなと。見方によっては、リアルな現代劇にも思えるし、なにか神隠しにあったような幻想物語にも思える。ほんとうに観た方にとってどう見えたかでいいと思っています。

 

――そうした不思議なストーリーが展開していく一方で、そこにほぼドキュメンタリーといっていい山で暮らす現地の人々の営みや日常がふと入り込んできます。その意図は?

 

先にも触れた通り、私としては注力したのは「滅びる文化」という点なんですね。ここは現代の人々の心の在り様をいくつかの階層にわけて自分なりに表現したつもりです。

 

これからこの世を去るおじいちゃんやおばあちゃんの世界はその中間層。ここには受け継がないといけない大切なものがたくさんあるのに見えているようでみえていない。

 

上層は自分の現在の世界で、いまを生きている場所である。

 

下層はいわば過去で、自分と言う人間が蓄積してきたことがあって、現在に耐えられなくなったときの逃避場所でもある。

 

このようなことを自分としては意識して、たとえば、自分が気づいたことや知ったこと、それは戦争のことや伝統や文化といったことが、上層から中間層を通って、しっかりと下層につくようになれば、定着するんじゃないか。この現地の人たちのシーンについては、そんなひとつの願いを込めたところがあります。

 

――出演しているおじいさんやおばあさんは現地で実際に暮らしている人たちですよね?

 

はい。すべて、塔子を演じた主演女優で、本作のプロデューサーでもある大塚(菜々穂)が一人で探しに行き、見つけてくれた人たちです。家も貸していただきました。

 

――この集落はもともと知っていたんですか?

 

岡山なんですけど、もともと知っていて。美しい棚田が広がっていて、昔はものすごく栄えていたそうです。ただ、いま、どんどん棚田も少なくなってきて耕作放棄地が出ている。

 

でも、SNSではきれいなところだけを切り取った写真がアップされていて、そんな感じには見えないんですけど、現実はもう滅びはじめている。いま、残しておかないと無くなってしまうと同時に、そこで暮らす人々のことも映画に刻んでおきたくて、大塚に探してきてとお願いしました。

 

――よくみなさんに受け入れられましたね。突然、映画に出てほしいといっても戸惑うと思うのですが。

 

そのあたりは大塚のキャラクター勝ちといいますか。めちゃくちゃ愛されキャラなんですよ。だから、おじいちゃんやおばあちゃんにもかわいい孫のように思われたんじゃないかなと。いまだに「元気にしているか」とか連絡が入るようです。

 

それと、どこか自分たちのことが映像に残されることをみなさん望んでいたというか。実際問題として棚田は減っているし、家屋も少なくなっている。このままだと跡形もなく消えてしまうかもしれないという意識があったからか、みなさんによく「映像に残してくれてうれしい」と声をかけらました。

 

また、作品が完成する前に、ひとりお亡くなりなってしまったんですけど、その方を早く観たいとみなさんおっしゃっていて。「こうして映像に残ってくれたのは宝物だ」といってくださるので、ホームビデオではないですが、生きた証を残せたのかなと思いました。

 

――想像世界と現実世界をなにかさまよい、漂うような不思議な感覚に陥る作品です。

 

自分の感覚として一番近いのは、毎日通る場所がいつの間にか工事現場になっていたときといいますか。毎日見ていたはずなのに、ここになにがあったのかとっさに思い出せない。あれだけ目にしていたのに、消えた瞬間に残像はあるんだけど、なかなか何が実際にあったか思い出せない。そういう瞬間に陥る映画かなと(笑)。

 

――では、少しプロフィール的なところもお聞きしたいのですが、映画監督を目指されたきっかけは?

 

いろいろとあって、中学時代ぐらいからドラマや映画を見ることが唯一の楽しみぐらいだったんですね。レンタルショップにいって借りて、90年代のドラマぐらいまでさかのぼって、みるものがなくなるぐらいまでみていました。

 

――たとえばどんな作品を?

 

ハマるきっかけになったのは『木更津キャッツアイ』です。当時は宮藤官九郎さんとか知らなかったですけど、おいおい知って、それで宮藤さん脚本のドラマをむさぼるようにみたり。とくに1990年代のテレビドラマが好きでしたね。たとえば『人間・失格〜たとえばぼくが死んだら』とか、『ビーチボーイズ』とか。

 

中学時代はドラマにどっぷりで、高校に入ったらもう観るドラマがなくなって(笑)、今度は映画を観るようになりました。

 

ほんとうに当時、私はドラマと映画に救われたところがあって。それで、高校生活が始まり、進路を提出しないといけなくなったとき、「明日これがあるからがんばろう」とか思えるような作品が自分も作れることができたら、すごく素敵だなと思って、映画の道に進もうと思いました。

 

でも、作り方もわからないし、撮る側のことはまったくわからない。はっきり言うと、監督がなにかもよくわかっていなかったです。

 

それで、京都造形芸術大学(現京都芸術大学)の映画学科に進みました。

 

――大学時代、すでに昨年劇場公開された『嵐電』の助監督をされていますね?

 

2回生のときに経験させていただきました。大学の教授でもある鈴木卓爾監督について1年間、ほんとうに濃い日々を過ごすことができました(笑)。

 

演出法も、脚本を作ることも、ここまで考え抜かないといけないのかと、映画作りの基本を学んだ時間でした。

 

――海外の映画祭でも上映された短編『パンにジャムをぬること』はそのあとですか?

 

そうですね。3回生のときの初監督作品になります。作品自体は、耳が聞こえない女の子が普通の子と仲良くなるという物語。主演を務めた瀬戸さくらがろう者で。あるとき、彼女が「耳の聞こえない子が頑張らない映画を作りたい」という企画を出して、それが出発点になっています。

 

私は、その「頑張らない映画ってどういうものなの」と聞いたら、耳のきこえない主人公の映画やドラマがありますけど、普通に1対1でセリフのキャッチボールがされる。でも、実際は違う。確かにさくらと話すときって、「もう一回いって」とか、言い間違いを聞き直したりする。そのやりとりがないのは、映画の中で耳の聞こえない人が頑張らされている気がすると、彼女は言うんですね。

 

それで、耳のきこえない人の感覚を、絶対的に再現はできないけど、観てくれた人が想像してもらえるような、そういう作品を作ろうと思って取り組みました。

 

さくらにめちゃくちゃインタビューして、ほかにもろう学校に行っていろいろとお話をきいて、脚本を書きました。

 

私としてはいままで知らなかったろうの世界が少しですけど想像できた。また映画における音の表現や、ろう者であるさくらがいてくれたことで俳優にどう意図を伝えるとか演出についてもより深く考えることができる機会になりました。

 

自分の作った作品に胸を張れない人に時々出会いますが、この作品は私の中でまったくそんなことはなく、堂々と胸を張れる作品です。ここでの経験が『雨の方舟』につながったと思っています。

 

――『パンにジャムをぬること』には『雨の方舟』で主演とプロデューサーを務めている大塚菜々穂さんも出演していますね。

 

大塚はもう私の分身といいますか、最大の理解者だと思っています。実は、卒業制作の企画を提出する際、初めてのことだったんですけど、プロデューサーをつけることが必須条件だったんですね。

 

それでどうしようかなと思ったんですけど、大塚しかいないなと。というのも企画の主旨を内容を説明するのはプロデューサーで、監督は一切口を出せない決まりで。私の意見や思いを完全に理解してくれて託せる人じゃないと任せられない。となると、大塚しかいなかったんですよね。それで彼女自身はほんとうは俳優1本でやりたかったんですけど、今回はプロデューサーも特別に兼務してもらいました。ほんとうに感謝しています。

 

――最後に今回の入選の感想を。

 

コロナ禍で映画祭も中止が相次ぐ中、オンラインですけど開催が叶ったことがまずはうれしいです。作り手としては実際に映画館でみていただいてという気持ちはあるんですけど、オンラインでもこのように人に届ける場がもてたのはとてもありがたいです。

 

オンライン配信だと途中でしんどくなったら止められないか心配なんですけど(笑)、あきらめずに最後までみてもらえたらうれしいです。

 

 

文・写真=水上賢治

『雨の方舟』作品詳細

 


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