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【デイリーニュース】Vol.22 関連企画「武蔵野美術大学映像学科作品上映」Aプログラム Q&A

アニメ新時代―人間がAIに勝てるのは人生のような“下手くそさなのかも

武蔵野美術大学映像学科作品上映」Aプログラム(左から)髙谷智子(武蔵野美術大学映像学科専任講師/アニメーション作家)、『手』汪婧監督、『ナンゾヤ』田中いずみ監督、『憶えていて』魏蔓監督、『Nuckelavee』陳冉監督、黒坂圭太(武蔵野美術大学映像学科教授/アニメーション作家)

 

映画祭の関連企画「武蔵野美術大学映像学科作品上映 Aプログラム」が25日(金)、映像ホールにて開催された。Aプログラムではアニメーションを中心に、多様な映像表現による6本の短編が上映され、卒業生監督4名と教員によるトークイベントも行われた。

 

司会は、アニメーション表現専任講師の髙谷智子氏。ゲストとして同学科教授でアニメーション作家の黒坂圭太氏も登壇。髙谷氏が4名の監督に質問を投げかけるかたちでトークは進行した。

 

髙谷氏によれば、映像学科は1学年約80人で、そのうち約10人が中国からの留学生。大学院に進学する学生の多くも留学生であり、この日登壇した4名のうち3名が中国人留学生だった。

 

汪婧監督の手描きアニメーション『手』(2025年/5分)は、日本で暮らすなかで感じた内面の不安や孤独を、自身の「手」の動きを通して描いた作品。実写、ストップモーション、手描きが重層的に交差し、繊細で私的な世界が静かに立ち上がる。「手は私の感情や記憶が現れる場所。その揺れを映したかった」と語る。

 

田中いずみ監督の『ナンゾヤ』(2019年/5分)は、線の変化が印象的。大学入学まで美術経験がなかった田中監督は、大学生活での内面の変化を、キャラクターの変形と成長に託して描いた。iPadとCLIP STUDIOを用いた制作について「描いているうちに、自分の中にあった感覚が少しずつ形になっていった」と振り返った。

 

魏蔓監督の『憶えていて』(2021年/10分)は、幼少期に描いた絵をもとに構成された記憶の詩。手描き、写真、CGを織り交ぜ、ナレーションに導かれるように記憶の断片が映像として結びついていく。「記憶はあいまいで、言葉にしにくい。でも映像なら残せる。そう思ってつくりました」と語った。

 

陳冉監督の『Nuckelavee』(2025年/12分)は、伝説上の怪物ナックラヴィーをモチーフにしたフル3DCG作品。帰省後、故郷の都市風景が失われていたことへの違和感を、メタファーとして昇華させた。「街はきれいになっていたけれど、自分の知っている風景ではなかった」。VR版の制作にも取り組んでいるという。

 

黒坂教授は「改めて作品を見て、武蔵美の映像学科らしさを感じました。映画学科は他大学にもあるが、ここではアニメも実写もジャンルに縛られず、自由に制作されている」と評価した。

 

登壇者たちは卒業後、アニメーション制作、ミュージックビデオ、ゲーム制作、芸術系大学での教職など、それぞれの分野で活躍している。在学中は細田守氏のワークショップなど実践的な機会もあり、異なる表現領域に触れながら学べる環境が大きな刺激となったと振り返った。

 

終盤では、AIや自動生成技術の進化にどう向き合うかという問いも交わされた。

 

4名の監督から「AIを道具として使う能力が求められる時代」「今はチャンスでもあり、チャレンジでもある」「AIは便利だけれど、自分の中から出てくるものを大切にしたい」という声が出るなか、黒坂教授は、「AIのように効率的なツールが進化すればするほど、“下手さ”が際立ってくる。人間の人生なんて基本的に下手くそなもの。これこそがAIにはできないことなんじゃないかな」と語った。

 

取材・構成・撮影:平辻哲也


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