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【インタビュー】『泡沫』アドリアン・ラコステ監督


――映画『泡沫(うたかた)』の話に入る前に、アドリアン・ラコステ監督が日本で映画を作ることに至った経緯を少しお伺いしたいと思います。はじめに2012年に日本に来日されたきっかけを教えてください。


振り返ると、今回の『泡沫』につながるのですが、フランスの大学卒業後、わたしはうつ病になってしまいまして……。ひどく落ち込んでなにもてにつかなくなっていたとき、心配した友人が連絡をくれていろいろと話す機会をもちました。その友人が日本に詳しく、日本へ行くことを勧めてくれました。


そのときに、いまいる環境にとどまるよりも、まったく別の環境へ変えてみるのもいいのではないか、と思い、もともと日本の小説や映画が好きで文化に興味があったので、ならば『日本に行ってみるのもいいかもしれない』と考えました。とにかく当時、自分としては気持ちを切り替えて、新しいスタートを切りたいと思っていた。それで2012年に日本に来ました。


――そこから編集者、カラリストとしてキャリアをスタートさせたということですが?


そうですね。わたしは映画学校や映像専攻の大学にも行っていません。ただ、映画は子どものころから大好きで10代半ばぐらいから脚本のようなものを書いてはいました。そういうこともあって大学を卒業した後、フランスではインターンシップのような形で、映画の制作サイドといいますか、ファイナンスに関するセクションで働いていました。


ただ、そのころから自分はやはりクリエイティブ、つまり実際に作る側に携わりたいという気持ちが強くなっていて、日本への来日を機に本格的に映像制作の現場での仕事を始めました。


いまおっしゃっていただいたように最初は編集の仕事を始めました。この経験は大きくて、どういうつなぎにするのがいいか、このシーンをベストにするにはどういうショットが必要かなど、今回の映画を作る上でも大いに役立っています。


――このような形で映像の仕事を始めて、その後、様々な実験的プロジェクトにかかわり、2017年には、ショートショートフィルムフェスティバル & アジアに選出された短編『未来は明るい』を脚本・監督されます。この時点で「次は長編」という気持ちがありましたか?


長編という前に、まずパーソナルな映画を作りたい気持ちがありました。自身が経験した「うつ病」を主題にした映画をと考えていました。精神疾患を抱える人々の日常をみつめることで、周囲の人々の理解が進むような作品ができないかと考えました。その思いがはじめにありました。


――作品は、有名建築家の家系に生まれたセイジロウが主人公。周囲に伏せられているが彼はうつ病を患っています。


さきほどお話ししたように、わたしがうつ病になったのは大学を出たばかりの若いころでした。ですから、まず日本の若い男性が同じような状況になってしまって、家族にも、周囲の人間にも理解されない、常にプレッシャーを感じる環境に置かれてしまったら、どうなってしまうのかを想像して脚本を書き始めました。


――物語は、セイジロウがメキシコ留学を終え、祖父の80歳の誕生日を祝うために帰国したところから始まります。ただ、祝いの場でありながら、祖父の後継者問題を話し合う場も兼ねており、集まったメンバーはそれぞれに思惑を抱えている。その中で、セイジロウは後継者の本命候補。しかし、うつ病と知られて後継者から外されることを危惧するセイジロウの家族は、そのことをひた隠しにしている。まず、この波乱含みの家族間の物語がひとつあります。


「うつ病」になった人間にとって、どんな家庭環境が最悪かを考えました。そこで、思い浮かんだのは保守的な家庭環境で。たとえば父親がピラミッドの頂点にいて、大きな権限を握っている。そして、妻や子はそれに従うしかない。いうなれば家父長制のような形が、もっともプレッシャーを感じる家庭環境ではないだろうかという考えに至りました。


セイジロウの一家は、祖父が建築家として大きな成功を収めて莫大な財を築いた。財産も家業もすべての実権を祖父が握っている。しかも、祖父が期待を寄せるのは、実の息子たちではなくて、そこを飛び越えた孫のセイジロウ。そのことでセイジロウは祖父の期待に応えなければならないというプレッシャーだけではなく、そのことをよく思っていないほかの親族からも恨みや妬みを向けられることになる。


これほど圧力を受ける環境はないのではないかと思い、この家族設定にすることにしました。


――そうした家族間の物語がある一方で、回想で、セイジロウと偶然出会った写真家のラナが日本各地の廃墟をめぐる旅の物語が語られます。


うつ病を抱えていながら、一番頼れるはずの家族に頼ることもできず、家庭に自分の心が安らぐような場所もない。そんなセイジロウの苦しい胸の内をきちんと描く一方で、彼の心が癒される、心が安らいでいくところもきちんと描きたいと思いました。


なぜなら、うつ病に苦んでいる方がどのようなことで心に安らぎ、どうすれば回復の方へ向かうのかを知ってほしかったからです。


そのことを描くために、ラナとのエピソードを組み込む形になりました。セイジロウは死に向かうところでラナに助けられる。対話をする中で、相通じるところがあってラナの旅へ同行します。


ラナは自由奔放で失敗を恐れない性格。自分らしく生きて人生をエンジョイしている。そういった彼女と触れ合う中で、セイジロウは心が和らぎ、生きる希望を見出していく。


実はわたしもうつ病で苦しんでいるときに、そういう友だちがいたんです。僕のことを理解してくれて、勇気づけてくれる友だちがいた。その友人のおかげでうつ病から抜け出すことができた。


彼の存在がラナのモデルになっているといっていいいかもしれません。こういう人物がセイジロウのそばにもいてくれたら、との願いを込めて描きました。


――あまり詳細は明かさない方がいいと思いますが、セイジロウはラナとの日々、そして彼女との別れなどを経験して、自己を見つめ直し、自分の居場所、自身の意思を見出していきます。


ラナとの旅でセイジロウはいろいろな体験をしていく。その中では、ドラッグで現実逃避しようとするときもありますが、それでは根本的な問題の解決にはならないことに気づく。家の跡継ぎの問題も、自分の意思をきちんと示さないといけないことを悟る。


うつ病から抜けだすことはそう簡単ではありません。ただ、うつ病から逃げていては変わらない。受け入れながらもうつ病である自身ときちんと向き合う。そうすれば道が拓けるかもしれないというメッセージを込めて、そのように描きました。

©A SUR LLC

――改めて作品を通して、伝えたかったことは?

監督メッセージにも寄せたのですが、この映画の目的は、精神的な問題を抱える人々が日常的に直面する問題に光を当てることでした。この映画を通じて、精神疾患を抱える人々の生活を身近に感じることで、オープンな対話ができる場とこの病気についての理解が深まる場ができていってくれたらうれしいです。


――では、ここからは少し演出面のことを聞きたいと思います。まずモノクロームの映像にしようと当初から考えていたのでしょうか?


脚本を書いている段階で、そうしたいと思っていました。わたし自身の体験から、うつ病になると目に映るものがすべてモノクロームのように見え、色のない世界に迷い込んでしまったかのような気分になる。観客のみなさんにはセイジロウの目線で世界をみてもらいたいと考えたのでモノクロームを選択しました。


――カラーよりもモノクロームの方がどのような明るさにするのか暗さにするのかといった色味の調整が大変ということをよく聞きます。


そうですね。僕はカラリストとしての経験もあるので、難しい挑戦になるだろうということは覚悟していました。撮影監督からもひとりのキャラクターを印象づけるようなことはモノクロでは難しいと告げられてもいました。


ただ、撮影監督と照明のスタッフがものすごくプロフェッショナルな職人だったので、彼らのおかげでシーンによってここはこれぐらい明るく、ここはもっと深い闇のような黒でといった僕の目指すところのモノクロの世界を作り上げてくれました。スタッフには感謝の気持ちでいっぱいです。


――モノクロで映すのが難しい水を映すシーンもすごく多いですが、これもすばらしいビジュアルになっています。


ほんとうに撮影監督と照明のスタッフの努力のたまものだと思います。


――その水のことで言うと、『泡沫』というタイトルを含め、水が重要なモチーフとなっており、劇中でも水の音が強調されています。


そうですね。この作品において、水というのはセイジロウの精神状態を表しているものと位置付けています。どういう風に流れているかが、セイジロウの精神状態を表し、『泡沫(うたかた)』のタイトル通りに、彼の精神は水の如くいつも変わっていく。ずっと同じではなく、動いて変化している。


また人生は泡沫のごとく現れたと思ったらすぐに消え去ってしまうことがある。


そのような意味も込めたくて、本作は水をいろいろな場面で強調した作りになっています。


――もうひとつ舞台となるセイジロウの祖父が暮らす邸宅は、おそらく見た人全員が強烈な印象を抱くと思います。それぐらい異彩を放っている。明かせる範囲内でどうやってみつけたのか教えてください。


日本の有名な建築家が作った家を幸運にも借りることができました。


僕が望んだのは、あまりにすべてが整いすぎていてゆえに、なにか居心地の悪さを感じてしまう。隅々まで美が貫かれているがゆえに、窮屈に感じてしまう。セイジロウがどうやっても馴染むことができない、逃げ出したくなってしまう、そんな家でした。


ほんとうに探すのは苦労したのですが、プロデューサーが見つけてきてくれました。見た瞬間に、この家こそセイジロウの祖父の家にふさわしい家だと思いました。

©A SUR LLC


――キャスティングについてもお聞きします。セイジロウ役は、『花束みたいな恋をした』をはじめ映画での活躍の続く中崎敏さんが演じられています。


中崎さんは別の作品で拝見していて、すばらしい俳優がいると思って、どこかでご一緒できたらたと願っていました。実際にすばらしい才能の持ち主で、演技もすばらしいのですが、俳優という仕事に注ぐ情熱もすばらしいと思いました。


俳優という仕事と演技ということに妥協がなくて一生懸命なんです。セイジロウという役をとことん考えて、僕が求めなくてもいろいろなアイデアを出してくれるし、どんな要求をしても文句を言わない。たとえば、川に飛び込むシーンがありましたけど、あのときはまだ水が冷たい寒い時期だった。にもかかわらず文句ひとつ言わず、泣き言も一切なしで何度も飛び込んでくれました。


それから、僕のうつ病の体験を理解してもらおうと思って、撮影する前から中崎さんとはいろいろと話したんです。うつ病のときはこういう体の異変があったとか、現実逃避してしまうときがあるとか、事細かく説明したんです。


するとクランクインと同時にすでにうつ病の状態のようになっていました。あまりにリアルなのでびっくりしました。


本人から『もしかしたらほんとうにうつ病になりかけているのではないか』と話されたときは、もう気が気でなくて。本気で心配しました。それぐらい役に打ち込む役者さんで、ほんとうにセイジロウを表現する上で助けられました。


――キーパーソンの祖父役は津嘉山正種さんが演じられています。


ほんとうにすばらしいキャリアを誇る役者さんで、もうそこにいるだけで存在感がある。ピラミッドの頂点にいる男性がもっている迫力を体現してくれたと思います。組むことができて光栄です。


――では、今回の入選の知らせはどう受け止めたでしょうか?


とてもうれしかったです。日本でトップクラスのインディペンデント映画祭に参加できて光栄です。映画祭でいろいろな方と出会えることを楽しみにしています。

『泡沫』作品詳細

取材・写真・文:水上賢治

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