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【インタビュー】『あらののはて』長谷川朋史監督
――はじめに、『あらののはて』は、長谷川監督と、『カメラを止めるな!』のしゅはまはるみさん、実力派俳優の藤田健彦さんが立ち上げた映画制作会社「ルネシネマ」の作品になります。立ち上げた経緯と、長谷川監督としゅはまさん、藤田さんとの関係を教えていただければと。
近年、僕はデザイナーとしてTVアニメを中心に活動してきたんですけど、もともとは演劇人で。しゅはまと藤田とは、20年来の演劇仲間です。
もうかれこれ20年前ぐらいになりますけど、僕は俳優をやりつつ、舞台の作・演出をフリーとして活動していました。それで、自分のプロデュースでキャストもブッキングして企画公演をしていたんですけど、そのときのメインの役者が二人でした。
ただ、10年前ぐらい、僕は芝居を辞めてしまった。しゅはまと藤田はそのまま頑張って続けていましたけど、正直言って、まったく目が出なかった(苦笑)。
同じころから、藤田は自分でアプローチして自主映画に出るようになって、それを見たしゅはまも同じように自主映画にアプローチをしはじめた。
それで参加した映画のワークショップのひとつがしゅはまは『カメラを止めるな!』で、一躍脚光を浴びることになったわけです。
で、2017年の年末ぐらいに、しゅはまと藤田と集まることになった。まだ『カメラを止めるな!』の公開前ですから、しゅはまも、藤田も鳴かず飛ばずで、『40過ぎて、このままじゃわたしたちダメだ』と切羽詰まっていた。
その話の流れで、いまケイズ・シネマで田口敬太監督という若い有能な監督の映画が公開されていると。それで観にいったんです。田口監督の『ナグラチームが解散する日』を。
すると確かにおもしろい。それで観終わったら、お酒がもう入っているものだから、二人が『監督を呼べ』と(笑)。で、会場に来ていた田口監督をつかまえて、二人が『私たち主演で映画を撮れ』となって、僕に『あんたはそのお金を出せ』となった(笑)。じゃあ20年前に二人とやっていたお芝居を映画にするなら、出資してもいいよという流れになってしまった。
もう田口監督はいい迷惑ですけど、後日、台本をいくつか渡したら、やってみたいといってくれたんです。
ただ、少ししたら『カメラを止めるな!』が大ヒットして、しゅはまが忙しくなったりして、なかなか当初の企画が進まない。
『これじゃまずい』と、とりあえず映画を作ってみることにしました。それで、田口監督と、2014年のSKIPシティ国際Dシネマ映画祭短編部門で最優秀作品賞を受賞した『押し入れ女の幸福』の大橋隆行監督が映像の仕事で一緒したことがあったので声をかけて。僕も演劇とテレビアニメの現場しか知らないので、映画の現場を見てみたい気持ちがあって監督をすることにして、1日で撮れる作品を作ることにした。
――それが劇場公開されたオムニバス映画『かぞくあわせ』になった?
そうです。決まりは、主演がしゅはまと藤田で、場所は結婚式場で撮影はその日1日だけ。いつもお世話になっている結婚式場で拝み倒してお借りしたんですけど(笑)、決まりはそれだけであとは自由にやっていいと。
それでとりあえず撮ってみました。2018年11月ぐらいに話をまとめて、12月には撮っていたと思います。
当初は、ひとり15分ぐらいの作品で劇場公開なんてまったく考えていませんでした。なんのつてもありませんし、まず映画制作をスタートさせることに重きを置いていましたから。
ところが田口監督の作品が50分ぐらいになってしまい、3人合わせるとけっこうな尺になった。それで、田口監督と大橋監督の実績もあって、運よくシネマ・ロサさんが声をかけてくれて、劇場公開される運びになったんですね。
それが去年のこと。実質的に「ルネシネマ」が立ち上がったのはそのときになります。制作部的なことをやっているので、僕やしゅはまや藤田が車両を運転したり、食事の手配をしたりもしています(笑)。
――いわば盟友ともいうべきしゅはまさんと藤田さんは、長谷川監督から見てどういう俳優でしょうか?
二人とも世渡り下手。ゆえにのしあがっていけないといいますか。
演技の実力はあって、劇団の主宰にもそれが認められている。でも、それを素直に受けとれない。そこで思い悩んでしまう。『自分はまだまだダメだ、これじゃいけないんじゃないか』と。まじめすぎるんです。変な話、もっとうまくやれば花が咲くかもしれないのに、不器用でそういうことができない。
それがもどかしくて、20年前ぐらいですか、僕は2人ありきで企画公演をやっていたんです。自分が描こうとする世界を二人ならばきちんと表現してくれるという思いもあって。
そういう思いがありましたから、当時から、二人の表現を形にして残したい気持ちがありました。でも、演劇って終わってしまったら跡形もなく消えてしまう。ただ、映画は形に残すことができる。
だから、いまようやくひとつの願いが叶ったというか。自分の表現を託した二人と、映画を一緒に作ることになって、ちょっと感慨深いものがあります。
――そういった中で今回の入選作『あらののはて』はどのようにスタートしたのでしょう?
『かぞくあわせ』の公開で学んだのは、プロデューサーの重要性。宣伝をするにも、公開に向けて動くにも、プロデューサーがきちんと存在しないと話にならないと感じたんですよね。
それで知り合いの映画監督にプロデューサーの方を誰か紹介してくれないかと相談したんです。それで出会ったのが今回の『あらののはて』のプロデューサーで、主演女優でもある舞木ひと美さんで。
『かぞくあわせ』の宣伝を兼ねて、ちょっとしたワークショップを開いたんです。そこに彼女が来てくれて初めてお会いしたんですけど、ものすごく存在感がある。本人には失礼に当たるんですが、まだ20代なのに、40代にも見える妙な落ち着きがある。聞くと『知らず知らずのうちにプロデューサーの仕事が中心になってしまっているが、私はほんとうは俳優として映画に出たい』という。
その瞬間、『これはチャンスだな』と思って、その場で、これから作る作品のプロデュースを任せられないかとお願いしました。それでお金がないので、ギャラは仕事で返すので、主演もやってほしいと言ったら承諾してくれて。
すぐさま舞木さんを想定したプロットを書いたところから、今回の企画はスタートしました。
――初の長編映画を作るにあたり、なにか目指した映画はあったのでしょう?
実は、『かぞくあわせ』も映画祭に応募したんですけど、全部ダメで、すごく悔しかった。それで改めて自分のやりたいことを考えて、ほんとうに自分が作りたい映画はなんなのかを突き詰めました。
その頃、いろいろと映画を観ていたんですけど、たまたまの自分のセレクションのせいかもしれないんですけど、辛い気持ちになる映画が多かった。暴力だったり、いじめだったりと、なにかひどい窮状があって、それを声高に叫ぶというか。ショッキングな内容で社会に対しての物申すじゃないですけど、痛烈なメッセージがあるような映画ばかりが僕の目には入ってきた。それで自分は逆に、まず叫ばない映画を作りたいと思ったんですよね。
それから、これも最近の映画を観ていて抱いていたことだったんですけど、誰のための編集なのかと考えることが多々あった。具体的に言えば、あらゆるシーン、ショットに説明しつくされるぐらい情報が入っているような気がする。『ここまで説明しつくして、情報を与えないとお客さんはついてこないのか』と思うところがある。
なので、これも逆を考えるというか。なにからなにまで不足のないサービスだらけの映画が多いから、一切サービスしない。説明不足といわれてもかまわないから能動的に観てもらえる映画を作りたいと思いました。
こういうことを含めて、いま世の中の大半を占めるエンターテインメント作のすべて逆をやってやろうというか。僕自身、映画のまだ初心者でわかっていないところがあるから、理解を深めるためにも、いろいろと試してみたかった。自主映画で制約もないわけですから。
それで、照明や撮影は基本、ノーライトで登場人物の顔がわかるとかわからないとか関係なくすべて逆光で撮ることにしました。
情報があるかないかということと、時間の関係にもすごく興味があって。情報があれば、映画が長くても相応に耐えられると思うんです。そういう情報のサービスをどれぐらい入れ込んだら、どうなるのかということを僕自身が知りたい。それで、あえて観てくれた人が『みたい』と思うところをみせないようにしたりするカット割りにしたりもしました。
だから、ものすごい実験映画に近い考えのもとに作られたところがあります。
――なるほど。でも、実際の作品は、『逆光で主人公の表情がみえない!』といったふつうの映画だと考えられないシーンがありつつ(笑)、ストーリーとしてはひとつ筋が通っていて、高校 2 年の冬に美術部のクラスメートの荒野に呼び出された風子が、早朝の教室でモデルを頼まれ、なぜが絶頂を感じて失神。8年後、そのことがどうしても忘れられない風子が、その日以来疎遠となっていた荒野と向き合う。恋かもどうかもわからない感情をこじらせてしまった女性の心情が伝わってくる作品になっています。
実は、その物語も、高校時代と8年後、まったく同じストーリーにして、場所も設定も時間も画もすべてシンメトリーにして描こうと当初思っていたんですよ(苦笑)
でも、実際作りこんでいくと、やはり作り手の性といいますか。観てくれる人に喜んでもらいたいとか、これで伝わるのかとか、はっきり言うと、ひよってしまった(笑)。それでどんどんエンタメ要素にひっぱられていく。
最初はばっちり寸分狂わず同じ構造にしていたのが、変化していって、高校時代は高校時代、8年後は8年後の話として成立するような方向に変わってしまったんですよね。
――極端なことを言えば、ストーリー性はなくてもいいと、ほんとうは考えていた。
そうですね。だから、ひとりのストーリーとして成り立っていたといわれると、うれしいんですけどちょっと複雑な心境のところはあります。
――ストーリー性はなくてもという意識がある中でも、主として描きたいことはあったと思うのですが?
これは実体験でもあるんですけど、学生時代を振り返ると、クラスにひとりかふたり、ちょっとなにものにも染まらないというか。自分独自の世界で生きているような女の子がいたじゃないですか。今どきの言葉でいうと、『不思議ちゃん』ということになるのでしょうけど、ほんとうになにを考えているかわからない。
僕はそういう子に強烈に惹かれるところがあって。ただ、凡人は太刀打ちできないですから、その恋が実ることはほぼないわけです。でも、惹かれてしまう。
このことを背景に、自分が知りたい相手のほんとうの気持ちはわからないことを描きたいと思いました。相手の気持ちは、そう簡単にわかることではない。それこそ簡単にわかったら、恋なんてすぐ成就するわけですけど、現実はそうならない。ドラマのようにそううまくいくはずはないわけで、そこにこそ世界のリアリティがあると考えました。
あと、いまなんとなく実際に本人と会ってよりも、たとえばSNSの情報だけで相手のことをわかった気になってしまうところがある。会わないで相手を判断してしまうことでいいのかという問いもありましたね。
――なにか若いころにけじめをつけられなかったことに対する、ひとつの思いみたいなことも感じました。
そこはどう転がっても成就することのなかった相手への自分の想い。その喪失感が出てしまっているような気がします。
――それにしても、長谷川監督の意図したことですけど、ほんとうに観客が『みたい』と思ってしまう場面を見せてくれません(笑)。象徴するシーンが風子と、現在の荒野の恋人がケンカする場面。ケンカが一切映されない。
このシーンはひとつの見せ場で見せたいところなんですけど、頑なに拒みました(笑)。実は、舞木さんはニューヨークにダンス留学しているぐらい身体能力が無茶苦茶高い。一方、荒野の恋人役の眞島優さんも日本フリースタイルフットボールのアンバサダーを務めるサッカー選手でこちらも負けずに身体能力が高い。
それでちょっとケンカのふりをつけてみたら、完全にアクションシーンとして成立してしまう。それでやめたんですよ。さきほど触れたように、アクションで楽しませてしまうのは僕の目指す映画とは相反するので。
ただ、フレームアウトした外で二人は実際にやっています。実際に撮っていたらいいアクションシーンになってたと思います。でも、映しません(笑)
人が観たいと思うところはみせない。それでいろいろと想像を刺激する。それが自分の表現かなと思っています。
――それで、しゅはまさんと藤田さんがポイントとなる役できっちり役割を果たしている。とくに藤田さん演じる教師の映画『カサブランカ』を題材にした授業は最高でした。
あれは、僕の学生時代に、実際に『カサブランカ』の映画をみて、英語の授業をする先生がいたんです。そのことを思い出して、藤田に撮影の1週間前ぐらいに、資料を渡してこれで授業をやってくれとふったんです。だから、あの授業は藤田のすべてアドリブです。実際に使ったのは一部ですけど、授業としてはまるまる1時間、普通の授業としてやって撮影してあります。
なかなかこんなことできる役者っていないと思いますよ。
――今回、初長編を作り終えてどんなことを考えましたか?
実は、映画に対してコンプレックスがあったんですよ。もともとアート系の映像をやりたくて大学に進んだんですけど、同級生に矢口史靖、1つ上の先輩に鈴木卓爾といういまやバリバリ映画監督として活躍する二人がいた。それで、映研に入って<ぴあフィルムフェスティバル>でグランプリを獲得する矢口監督の『雨女』にもスタッフで参加しているんです。矢口とはシェアハウスで一緒に暮らしてもいた。
そのとき、自分は『ダメだ。この世界では生きてけない』と思ったんですよ。矢口をみて。彼は自分の人生におけるエネルギーの99.8%ぐらいを映画に注いでいる。だって、食べるものがないのに、100円あったら、映画の材料を買うんですよ(笑)。
正直言うと、『そこまでしないと映画はダメなのか』と思ったし、作品を観ても、これはもう敵わないと思った。当時、<ぴあフィルムフェスティバル>で入選している監督をみても、たとえば平野勝之さんとか、園子温さんとか毒気が強い。
この中で自分は生きていけないし、たちうちできないと思って、演劇研究会のほうに流れていって、そっちの道に進んだ経緯があるんです。
ただ一方で、ヌーヴェルヴァーグとかアメリカン・ニューシネマとかの映画に洗礼を受けてもいる。どこか映画への想いが消えないでもいた。
だから、30年遅れて、めぐりめぐってここに来たかという気持ちです。
――今回の入選はどう受けとめられていますか?
いや、SKIPシティの映画祭の資料とかみても、『若手映画作家の登竜門』と書かれていたりするので、僕がいいのかなと。若手の枠をひとつ潰してしまったような気がして、すいませんという気分です(笑)。
入選のご連絡をいただいたときは驚きました。年齢不問と書いてあったけど、自分が年齢詐称してたんじゃないかなとか思ったりして、もう1度、応募シートを確認してしまいました(笑)。
スクリーンでみてほしい気持ちはありますけど、オンラインはオンラインでいろいろな方に観てもらえると思うので、期待して配信上映の日を迎えたいです。
文・写真=水上賢治