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【インタビュー】『親子の河』望月葉子監督

 

 

ーーまずプロフィールを拝見するとちょっとユニークといいますか。東京経済大学に進まれて、そこからENBU ゼミナール映画監督コースに入学とあります。進む道が一転されている印象があるのですが、このあたりの経緯を少し教えていただけますか?
 
東京経済大学で、わたしが進んだのは21世紀教養プログラムという学部で。この学部は少人数で、わたしが入ったクラスの学生は10人ぐらい。自分で好きな講義をチョイスしてプログラミングして受けられるという自由な学部だったんです。
 
その講義で、映画を観る機会がけっこうあって、日本や海外のクラシック映画、アニメーションなど多くの映画に出会いました。たとえば小津安二郎監督の『東京物語』とか、ドイツ表現主義映画の『カリガリ博士』とか、ドキュメンタリー映画も見ました。それまではたまに話題の映画をみるぐらい。クラシック映画に出会ってからです。映画にすごく興味をもったのは。
 
 
ーーそのとき、すぐに「映画を作ってみたい」と思ったのでしょうか?
 
そのときは自分で作るとまでは考えませんでした。どちらかというと、この美術すごいとか、このショットはどうやって撮ったんだろうと、映画の裏側が気になって、漠然と映画に興味をもって、何か関わることができないかと思いました。
 
 
ーーでは、いつぐらいに映画の道へと?
 
大学の卒業が近づいたときに、就活して内定もひとついただいて、一度は就職しようと思ったんです。けれども、心の中で「このままわたし、就職しちゃっていいのかな」と。そこで、自分の興味があることに1年間だけトライしてみようとなり、「じゃあ、映画を学ぼう」と心が決まりました。そこからいきなり映画学校を調べ始めて(笑)、最終的にENBUゼミナールの監督コースに入学しました。
 
正直なことを言うと、ほんとうは俳優コースに興味があったんです。でも、自分に自信がもてなくて、まずは1年間みっちり映画の基礎を学ぼうと思って監督コースに進むことになりました。講師が池田千尋監督で、1年間ですけど、映画作りのノウハウを教えていただきました。
 
 
ーー小津映画をはじめ昔の日本映画を観て、映画の道を志す若い監督は珍しいかもしれないです。
 
日本の昔の映画をよく観るようになった理由は授業のほかにもう一つあって。卒論を担当をしてくださった教員の方が、ラピュタ阿佐ヶ谷のことを教えてくださったんです。『日本の古い映画を数多く上映しているよ』と。それで行くようになって、増村保造監督の『盲獣』とか見ました。
 
その流れというわけではないですけど、就職を辞めて学校に通いながらの働き口を探さないといけなくなったときに、たまたまラピュタ阿佐ヶ谷がアルバイトを募集していて、運よくスタッフになることができました。4年ぐらい働いていたのですが、その間、たくさんの日本映画の旧作の名作をいっぱい見せていただきました。そして、今回の『親子の河』でも大変お世話になっています。
 
 
ーー今回の初長編映画は、どういう形で始まったのでしょう。ENBUゼミナールを卒業して少し時間が空いていると思うのですが?
 
在学時に2作品を撮影して、卒業後にも短編を1本完成させました。そのあと、依頼があってウェブドラマを作ったんですけど、そこで自分の監督としてのふがいなさに直面したといいますか。監督としての自信のようなものが少し揺らぎ、しばらく距離を置いて、もともと取り組んでみたかった俳優業に挑戦してみることにしました。そこからいろいろなワークショップに通いはじめて、演技を学んでいました。ただ、その間も、『監督業ができるんだったら作品を撮ったら』とか『自分主演で撮ったらいいんじゃない』といったことを言ってくれる知人がいて、『いつかそういう日がくればいいな』と思っていました。でも、とくに動くことのないまま数年が過ぎていきました。
 
 
ーーそこからどうやって立ち上がったのでしょう?
 
きっかけは、二つありました。一つは、数年前に、インドを訪れました。4日間ぐらいの弾丸旅行だったんですけど(笑)。その旅がきっかけに、ひとつの人生の岐路に立つような体験をしたんです。その体験があったことがひとつ。
 
もう一つは、父との関係です。これはもう作品の中で、そのまま描いていることなんですけど、わたしは父を少し恐れているところがあったんです。小さいころから声を荒らげるときがあって、それが大人になっても怖かった。それで気づいたら、顔を合わせてもなにも言葉を交わさないような関係になってしまい、父の前だとなにも話せない、無邪気に笑えなくなってしまいました。そういう日々が続いたある日、わたしが悪かったんですけどまた父に声を荒らげられて怒られたことがあって。そのとき、なにかわからないんですけど、自分の張っていた糸みたいなものがぷつんと切れてしまって、涙が止まらなくなった。
 
今も思い出すだけで涙が出てくるんですけど、生まれて初めて父の前で号泣してしまいました。そのとき、素直に伝えたんです。『怒鳴られるのがすごく怖くて嫌だった』と。すると、父が『ごめん』と謝ってくれた。そこで自分の気持ちを素直に伝えられたことで、父と和解というか、親子関係を取り戻すことができました。そのときに、親子の話を書きたい気持ちが芽生えました。この二つの出来事が大きなきっかけになっています。
 
あと、もう一つ、ちょうど父との関係を修復できたころ、知り合いの女優さんが自身で企画して作った舞台をみて、すごくパワーをもらい、勇気づけられたんです。そこから、もう自分も立ち止まっていられないと思って。自分が監督・主演の映画を撮ろうと決心して、1カ月ぐらいで脚本を書きあげました。
 
 
ーー作品の主人公は映画館でアルバイトをする葉月。彼女は、自分に自信が持てず、なにがやりたいかもはっきりしていない。実家暮らしではあるが、父との会話はゼロ。母からは仕事のことなどをなにかと口うるさく言われるが、何も言い返せない。アルバイト先の映画館の映写に興味があるが、それをベテラン映写技師に言い出せない。こんな自分の伝えたいことをうまく伝えられないもどかしさを抱え、自分の殻に閉じこもってしまった女の子の心情が丹念に綴られていく。ここまでお話をおうかがいして『親子の河』と照らし合わせると、ほぼ葉月は望月監督で、自伝のような映画に思えます。
 
そうですね。自分で監督して主演をすると決めた時点で、いままでの自分を、いままで自分が映画でやりたかったことをすべて入れようと思いました。自分の監督作として最後になってもいいという気持ちだったので。そういう心づもりで脚本を執筆していったら、しぜんと葉月は自分になっていってしまいましたね。だからこそ脚本が書けたとも思っています。わたし「もっちー」と呼ばれているんですけど、映画を見てくれた知人や友人のみんなから言われます。「もっちーそのものだね」って(笑)。
 
ほかにも自分の思いがそこかしこにあふれていて、やはり映画館が舞台になったのはラピュタ阿佐ヶ谷で働いていたからで。愛する映画館で映画を撮影することがひとつの夢でした。海外ロケというのも映画で実現したいひとつの夢でした。さきほどお話したように、大切な父との関係をきちんと描くこともひとつの大きなテーマでした。ですから、ほんとうに自分が映画でやりたいこと一つ一つを実現させたら、『親子の河』になったという感じです。
 
 
ーーその葉月は、ある日、同僚から半ば強引にインド旅行に誘われていくことになり、そのことを転機に新たな一歩を踏み出すことになる。その一歩踏み出した先に、映写技師さんがいますが、実際に現役の映写技師である遠藤光史さんを起用されていますね。
 
ラピュタ阿佐ヶ谷での上映はほとんどがフィルム。大ベテランの遠藤さんは映写室の主で、わたしにとっては憧れの存在でした。実は、働いているときから映写をしてみたい気持ちがあったんですけど、葉月と同じで言い出せなかった(苦笑)。それで、映画をいいことに、アルバイト時代、叶えられなかった夢を叶えちゃおうと。だから、映写技師の役はもう遠藤さんしか頭になかったです。ずっと映写機にふれてきた、遠藤さんの人生も映し出せたらいいなと思いました。ご承諾いただくまでにはいろいろとあったのですが、もう頼み込んで、最後はラピュタ阿佐ヶ谷のほかのスタッフのみなさんの力添えもあって、最後は頷いてくださいました。
 
 
ーーキャストの話が出たので続けたいと思うのですが、葉月の母親役は大高洋子さん。『ミセス・ノイズィ』の騒音おばさん役で知っている方も多いと思います。
 
大高さんは、あるワークショップで知り合って、1年ぐらいずっと一緒に通っていたんです。漢字は違うんですけど、同じ名前ということもあって仲良くなって、役者として切磋琢磨してきました。実は葉月が働く映画館の同僚、しずく役の未平ケイ子さんも同じワークショップに通っていて。お二人ともに個性的で魅力ある方なので、いつか一緒に映画を作れたらと思っていたので、今回お願いしました。
 
 
ーーもうひとり、葉月が旅するインドのガイド役、ヴィージェイ・ヤダヴさんはどうやって?
 
インド旅行に行った際に出会っていて、実際に日本語のガイドをしていらっしゃいます。インドパートに出演している方々は、彼の友人や知人です。
 
 
ーーそしてキャストといえば、葉月役は望月監督自身が演じたわけですが、初長編映画で監督と主演、大変だったのではないでしょうか?
 
役についてはもう自分といいますか普段どおりにすればいいのかなと思って、ものすごく悩んだりということはなかったんですけど、ちょっと自分と改めて向き合うようなところがあって恥かしいところはありましたね。あと、わたしが監督なので自分でOKかNGかの判断をくださないといけない。当然、判断に迷うことがあって、「誰かOKかNGか判断して!」と思ったときは何度もありました(笑)。
 
 
ーー葉月は、自分の言いたいことが言い出せない。当然、口数も多いほうではない。ということで、主人公としては異例というぐらいセリフも多くなく、それこそ所作や表情で気持ちを伝えていくような役です。その気持ちの揺らぎを的確に演じられたのではないかと思います。
 
ありがとうございます。いまおっしゃってくださったように、彼女の心の小さな揺らぎや心境の変化を丹念に感じてもらえたらと思って演じたので、そのように受け止めていただけたらうれしいです。葉月のようななかなか一歩を踏み出せない人たちに届いて、少しでも勇気を渡せたらと思っています。
 
 
ーーそういった自身の想いがつまった作品で、入選の報せが来たときの心境はいかがだったでしょう?
 
仕事中にメールが入っていたんですけど、自分でも思いのほか冷静に受け止めることができました。というのも、これまではその都度、『賞をとりたい』とか『絶対入選してやる』とか思っていたんですけど、落選するたびに、悔しくて激しく落ち込んだりしていたこともあって、今回はどんな結果でも冷静にという気持ちがあったんです。だから、もちろんうれしかったんですけど、冷静に受け止めることができました。そのあと、うれしさが込み上げてきて、この作品を観ていただける場ができたことに感謝しました。
 
 
ーーオンライン配信での開催はどう受け止めていますか?
 
スクリーンで直接、観てくださった方の反応をみたい気持ちはありますけど、いまの状況を考えると、劇場にまだ足を運ぶ気が起きない方も、ほかの方と映画を見ることが怖いと感じる方もいらっしゃると思います。なので、オンラインというのが現実的なのかなと思いますし、より広くの方に観ていただけるチャンスと、わたし自身はポジティブにとらえています。気軽にみていただける場を作っていただけたと思っています。
 
 
ーー今後はどのような活動をしていこうと?
 
思い返すと20歳の前あたりから、自分という人間にずっと満足できなくて、俳優さんというお仕事につけたら、いろいろな人生を体験できたりするんじゃないかと思いました。自分はほんとうに自分に自信がもてないけど、俳優になれたら、もっともっと自分に自信がもてるんじゃないか。わたし自身がいろいろな俳優さんからパワーをもらっていたので、おこがましいですけど、自分がなにか演じることで誰かを勇気づけられるんじゃないか。俳優のお仕事をはじめてからそういうことを考え始めて、先ほど触れましたけど、演じることで映画作りへの想いがつなぎとめられたところもある。
 
ですから、監督業を続けていくかも視野を入れつつも、ちょっといまは俳優業に軸を置いて活動したい気持ちが強くなってきています。まだまだ力不足ですけど、どこかの誰かに勇気やパワーを与えられるような俳優になりたい。海外に出ていけるような俳優になりたい気持ちがいま高まっています。
 
 
ーーでは、最後になにか伝えたいことがあれば。
 
いままでわたしは作品のタイトルに自分の名前を1字ずつ入れてきたんです。それで最後に残っていたのが「子」で。今回の作品は「子」を入れた題名を視野に入れながら、タイトル未定のまま、編集の段階まできても決まっていなかった。
 
ずっと考えていたときに、『親子の河』というのが浮かんで、まったく意図していないんですけど、葉月の苗字が早川で、遠藤周作さんの『深い河』も登場していて、つながったなぁと思ったんです。そして、自分の名前を入れた形の4部作が完成した。ひとつ自分の中での映画作りを完了させた感触があります。ある意味で、ここまでの集大成といっていい作品かもしれません。ぜひひとりでも多くの方に観ていただけたらと思っています。
 
 

文・写真=水上賢治

 
『親子の河』作品詳細
 
 


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