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【インタビュー】『赫くなれば其れ』猫目はち監督


 

 

ーー今回の作品『赫くなれば其れ』は、これまで発表した中短編3作から続く連作で最終章とおききしました。まず、これまで発表された3作品がどういう作品だったのかを簡単に教えていただければと思います。
 
きっかけは、3年ぐらい前に、死にかけたといいますか。もう精神的にまいってしまって、生きていく気力みたいなものがなくなってしまった時期がありました。そうした中で、自身に問うたんです。『やり残したことはないか」と。
 
そのとき、映画を作っていないことに気づいて、映画を作らないと悔いが残ると思いました。そこで、わたしにとって切実な問題だった、生と死をテーマに映画を作ろうと思い立ったといったところです。
 
 
ーーそこから、まず2018年に中編『つま先だけが恋をした』を監督第1作として発表されています。
 
この作品は、自殺してしまいそうになる女の子、雪の心模様を描いた作品になります。彼女のような人生に絶望した子にどうにかして踏みとどまってほしいといった思いを込めて作った作品になります。
 
 
ーー続けて2019年に中編映画『突き射す』を発表します。
 
『つま先だけが恋をした』を完成させて、もうこれで終わりとなると思ったら、そうならずに「まだやり残したことがある」となった(笑)。この作品は、『つま先だけが恋をした』の続編で、ちょっと説明するのが難しいんですけど、『つま先だけが恋をした』を撮った監督なつめの物語になります。映画を作ることで自分が考えたことや感じたことがベースになっています。
 
 
ーーそして、2020年に3作目となる短編映画『花に問う』を発表します。
 
『突き射す』を作ってもう終わりかなと思ったら、またまた『やり残したことがある』となりました(笑)。『花に問う』は、2作目でわたしが演じた主人公なつめが死んでしまうので、その死後の現実社会を描いたものになります。
 
 
ーーでは、この3作品でも「またやり残したことがある」となって今回の『赫くなれば其れ』になった(笑)。
 
そうです。これまでの3作品に関していうと、自分である演じた主人公のなつめのことばかりを書いていた。なつめに関わるほかの登場人物たちをちょっと置き去りにしてきてしまったなと反省したんです。彼らのことを描かずして終われないなと思って作ったのが『赫くなれば其れ』です。この作品は、『突き射す』のときに出ていた登場人物がメインした物語になっています。「2人を主人公にした映画を作りたい」と思う、文作と幸之助への愛情がありました。
 
 
ーー物語は、いまは別々の土地で暮らす、文作と幸之助。2人はかつて同じ古本屋で働き、多くの時間を共有していた。だが、幸之助の幼なじみであるなつめの自殺をきっかけに、2人はほぼ音信不通状態になってしまう。そんな折、なつめの映画のカメラマンだった嗣澤から、文作のもとに幸之助宛の郵便が届いたことから、2人は再会することになる。それぞれ相手を大切に思うがゆえに、すれ違ってしまう文作と幸之助の心情、愛する人が突然目の前から消えてしまった喪失感が丹念に紡がれています。
 
最終章だからどうこうといった考えは一切なかったです。文作と幸之助についてこれまで感じてきたことや思いついたことをひたすら書き連ねていきました。ただ、ラストに関わることなのであまり詳しくいえないのですが、疎遠になってしまった文作と幸之助がいい形の再スタートをきれればなと当初は考えていたんですけど、途中でちょっと考え方が変わって。もちろん他人の痛みや苦悩に思いはせることは大切なこと。でも、わかった気になってしまうのはちょっと違うんじゃないかなと。
 
それこそ人の死なんて、そう簡単には思いを共有できない。どれだけ多くの時間を過ごしても、その人の気持ちがすべてわかるわけではない。時間をどれだけ共有してもわかることもあれば、そのままわかりあえずに一方通行で終わることだってある。わたし自身も仲のいい子のことのすべてがわかるわけではない。そもそも自分自身のことも友人にわかってもらえないんだろうなという思いがある。わかりあえることを肯定するのではなく、同じ時を過ごしてもわかりあえないことがあることも同じように肯定したかった。
 
だから、わかりあうことがすべてというわけではないなという思いが、脚本に強く出ているかもしれないです。
 
 
ーーなつめの死は、文作と幸之助に暗い影を落とし、とりわけ残された側の気持ちが伝わってきます。さきほど、生と死をテーマにとおっしゃっていましたが、描いたことでなにか考えたことはありましたか?
 
わたし自身ものすごく考えるんです。特に『死』について。身近に命を落とした人がいるというかけじゃないのですが、死について考えるのが、変な話かもしれないですけど、趣味みたいなところがある。
 
自殺してしまった人はどんなことを考えてなくなったのか、有名な人が亡くなったりするとその人に想いをはせたりする。あまりよろしくないことと承知しているんですけど、「死」はわたしの中でとても大きなテーマなんです。なぜか理由はわからないですけど。
 
ただ、たとえば、今回でいったらなつめを引き留められなかった幸之助は後悔の念にさいなまれる。この後悔というのは、わたし自身、いろいろな場面でなにかできたんじゃないか、こういうことしたら大丈夫じゃなかったかとよく考える。そういう負のメンタルが「死」へとつながっているのかもしれません。
 
 
ーーでは、ここからはこれまでのキャリアについてお伺いしたいのですが。まず、2016年の今泉力哉監督作品『退屈な日々にさようならを』で役者デビューを果たしています。もともと役者志望だったのですか?
 
いえ、ほんとうに漠然となんですけど映画に関わりたいなというのがスタートです。だから、映画を作りたいからこの道に進んだわけではない。活動していくうちに、映画も作ってみたいとなった感じです。
 
映画に興味をもったのもわたしの場合、かなり不純な動機といいますか。
 
うちの家庭はほぼ映画をみなくて、映画館でみるのは『ドラえもん』とジブリ作品ぐらいといった感じだったんです。ほぼ映画に触れてこなかった。ただ、もうけっこう前になるんですけど、たまたま知り合った人が役者をやっていて。でも、その人の気持ちがまったくわからない。で、映画に携わったら、その人の気持ちがわかるんじゃないかと思って、映画業界を目指したんです。
 
でも、当時は、この人が好きな映画と、役者として活動しているときと同じような風景をみたら、気持ちがつながるんじゃないかと思っていた。そこから映画を見るようになって、ミニシアターという場所があることを知って通い始めた。もともとはミュージシャンになりたくて音楽ばっかりやっていたんですけど、そこで方向転換して映画業界にいきたいなと思いました。
 
 
ーーちなみに当時、どういう映画を観ていたんですか?
 
ものすごく感動したのが、大森立嗣監督の『ケンタとジュンとカヨちゃんの国』です。いままで出会ってきた映画とはまったく違う作品で、リピートして観にいっていました。いわゆるメジャー映画じゃなくても、こんなおもしろい映画があるんだと驚いて。帰り道の景色が変わってみえるぐらいの衝撃を受けました。それで、もうこれは「映画だ」と。
 
ただ、どうやって映画業界って入れるのか皆目見当がつかない。そうしたら、たまたまツイッターで知り合った人が映画関係者で、ワークショップというのがあることを教えてくれた。それで、ワークショップに通い始めたんです。その中で、今泉監督のワークショップいって、気づいたら『退屈な日々にさようならを』に出ていたみたいな感じです。ほんとうに人とのめぐり逢いでここまできています。
 
一番初めに参加したワークショップが、深田晃司監督が講師だったんです。『ほとりの朔子』が大好きだったのと、初心者大歓迎と書かれていたのでいったんです。初心者大歓迎だから演技未経験のド素人のわたしにもきちんと教えてくれるだろうと思って。それでいったら、もう「映画に何本も出てます」とか「CMに出てます」といったすでにキャリアのある人ばかり。わたしだけなにも自己PRできるものがない(苦笑)。もう恐怖でした。今思い出しても怖かった記憶が甦ります。深田監督自身は、ほんとうに懇切丁寧に指導してくださったんですけどね。そこからはじまって、よくここまでこれたなと思います。
 
 
ーーそこから、ENBUゼミナール監督コースに入学して今回の一連の作品を作っていった?
 
そうですね。ENBUで学ぶ中で、俳優のみならず、カメラマンや録音技師といった方との出会いがって、映画を撮れる環境ができていた。それで、撮ってみようとなりました。
 
 
ーー今後も役者業と監督業を続けようと?
 
本音を言うと、役者メインでやっていければなという気持ちがあります。でも実際は、最近は特に監督で呼ばれることが多くて複雑な心境です。仲間と作品を作るのは好きだから監督に向いているのかなとは思うんですけど。なので、次になにを撮るかとかはまったく決まっていません。
 
まずは、「やり残したことがある」の連続できていてしまった連作をいま完成させたことで
自分の気持ちとしては監督業にひとつ区切りがつきました。ほんとうにこの連作は自分そのものといった感じで。作るたびに、自分が磨り減っていくような感覚がありました。ですから、いまはすっからかんの状態。作ってよかったと思ってますけど、もうこれ以上なにもでない。心血注いだ作品が終わりを迎えたと思っています。

 
 
ーーその作品が入選したとの報せを受けたときはどんな気持ちでしたか?
 
単純にいままでまったく評価されてこなかったので、とてもうれしかったです。この作品を撮るときに映画祭に連れていくとキャストやスタッフに宣言していたので、その夢を叶えることができました。その責任を果たせたといまは安堵しています。役者たちもみんな喜んでくれてうれしかったです。
 
 
ーーSKIPシティ国際Dシネマ映画祭には、2019年の本映画祭で観客賞を受賞した『おろかもの』の演者として参加されています。そのときの印象を?
 
とても豪華な映画祭だと思いました。なにより上映環境が抜群にいい。今回は残念ながらないですけど、監督や俳優が交流できるパーティーもあって、楽しかったです。なので、私の中では偉大な映画祭なので光栄ですし、監督として戻ってこれたことを誇りに思っています。
 
 
ーーなにか猫目監督的にみてもらいたいポイントはありますか?
 
ひとつお伝えしたいのは、ロケ地が栃木県の鹿沼なんですけど、幸之助が住んでいた宿がもう更地になっていたりとか、使っていた喫茶店がもう営業していなかったり、いまはもうない景色がこの映画には記録されているんです。そこらへんもみてほしいし、いま残せてよかったなと心から思っています。
 
 
ーーオンラインでの開催ですが、どういう機会にしたいですか?
 
劇場での上映がないのは寂しいですけど、全国の方に観てもらえる機会になったので、それはよかったと思っています。ネットを通して、ひとりでも多くの人にみてもらいたいです。
 
あと、この映画はもしかしたら、小さいパソコンでひとりで観るほうが実は合っているかもしれない。みんなに観てほしいという気持ちもやまやまなのですが、ひとりでこっそりと観るのもおすすめです。みなさんの一人一人の心に残る一作になればいいなと思っています。

 
 

文・写真=水上賢治

 
『赫くなれば其れ』作品詳細
 
 


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