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【インタビュー】『Song for Lauel』羽蚋拓未監督

 
 
ーー東京藝大大学院映像研究科映画専攻監督領域で学ばれて、今回の作品『Song for Laurel』は、第15期東京藝術大学大学院映像研究科映画専攻修了作品になります。修了作品をどういうものにしようと考えていたのでしょう?
 
企画のアイデアを出るまでにかなり時間がかかりました。なにを撮ろうか、すごく悩む時間が長かった。あれこれ思案しながら、常に頭の中あったのは「藝大の修了制作を撮ったら、次にいつ作品を撮ることができるのか」ということ。次を撮れる保証はどこにもない。だったら、昔から自分が映画で描きたいと思ったことを描こうと、今まで蓄積してきたモチーフをいくつか入れ込む方向で考えていきました。
 
その中で、プロットの元になったアイデアは2つ。
 
ギリシャ神話とフランスの画家、オディロン・ルドンの絵です。どちらも好きで、いつかギリシャ神話や絵をモチーフに映画を作りたいと思っていました。この2つを大きなモチーフに、そこに自分のプライベートで起きたことなども交えて、脚本を書き上げていきました。
 
 
ーーギリシャ神話のアポロンとダフネの物語がベースになっていますが、ギリシャ神話に興味をいつごろからもっていたのですか? いまなかなか触れる機会のないものだと思うのですが。
 
そう言われるとそうですよね。僕の映画原体験というのは、怪獣映画や特撮映画で。『ゴジラ』シリーズとか、戦隊ものであったり、ハリウッドだったら『スパイダーマン』といったアメコミもの、いわゆる男の子っぽい作品が大好きでした。高校である映画に出会うまでは、怪獣映画を撮りたいと思って映画の道を目指したところがあったんです。
 
その影響があったからか、怪獣が出てきてそれが闘っていれば「OK!」みたいなところがあって(笑)。ギリシャ神話は、神々の話ですけど、わりと近いところがあるじゃないですか。小学校で朝の読書タイムがあったんですけど、その読書用の本が教室に並べられてる中にギリシャ神話の本があって、はまったんですよね。神話が想起される風景が広がっているような静岡の田舎で、勝手に想像力をかきたてられるところもあって、ギリシャ神話は本当によく読みました。
 
あと、ギリシャ神話はウィキペディアが充実していて、ひとつ調べ出すといろいろなところに飛べるんですよ。そういうところから神々の無駄な知識を入れていくのが大好きでした。アポロンとダフネの話はギリシャ神話でいくつかある好きなエピソードのひとつです。
 
 
ーーさきほどプライベートなことも交えてとおっしゃってましたが、差し支えなければそのあたりはどういったことが?
 
そのころ、いくつかの別れを経験したんです。そこまで深い付き合いはなかったんですけど、小学校のときちょっと遊んでいた同級生の逝去の知らせがきたり、愛犬が亡くなったりと。また、今も続いてますけど、コロナ禍で実家に帰れずに家族に会えなかったり、そもそも人と会う機会も減ってしまった。なにか自分の前から人がいなくなってしまうような感覚になって、これをどう受け止めればいいか考えざる得ないことになったんです。自分の中で。
 
そういったころ、僕は大学が武蔵野美術大学映像学科だったんですけど、同じ頃に仲のいいグループの内の2人が、地元の九州に帰ることになって。お別れパーティーを開いたんですけど、なんともいえない気持ちにとらわれた。2人を引き止めたい気持ちはなくはないんですけど、そこまでして引き止めたくはない。引き止めたらとどまってくれなくもないんだけど、自分からそれは切り出せない。自分から能動的に動けないんだけど、2人がいなくなるのはちょっと寂しいみたいな相容れない感覚が自分の中に生まれた。
 
この感覚は、先ほどのギリシャ神話にも根底でつながってくる、作品を作るにあたっても考え続けたいテーマになるのではないかと思え、そこでストーリーに交えようと思いました。
 
 
ーー脚本は、小林令奈さんとの共同となっています。
 
初稿に関しては僕が書き上げました。ただ、武蔵野美術大学時代の経験で、自分が思いのまま衝動的に書いたものをそのままやるのはよくない。そういうセーブが自分の中に働いて。ひとり誰かにみてもらいたいと思いました。
 
小林は武蔵野美術大学の同期で。僕の武蔵野美術大学映像学科での卒業作品のヒロイン役なんです。当時は俳優として活動していたんですけど、たまたま同じ東京藝術大学大学院映像研究科に進み、彼女は脚本領域に進みました。それで彼女だったら僕の考えていることや描きたいことをわかってくれている、話が早いと思って(笑)、お願いしました。アイデアを出し合いながら、メンターとして一緒にいてくれて心強かったです。
 
 
ーー作品は、父を亡くした恋人の学を心配するトウコが留学先から急遽帰国したところからはじまり、次第に2人と彼らの共通の友人である佑ともうひとりの女性の一方通行の愛が明らかになっていく。しかも、その愛が人を1本の木へと変えてしまうという、寓話的な物語で、それぞれの永遠に叶うことのない愛と狂おしいまでの思いが浮かび上がります。
 
実を言うと、当初の想定からは大幅に設定が変わりました。現在はトウコが中心になっていますけど、当初は学を主人公にしようと思っていました。学が佑に惹かれていく過程を物語にしようと思っていたんです。ただ、その2人の関係を描くには、困難な要因がいくつか重なってしまった。
 
そこでトウコを中心に置いたところ、おのずと今の形に落ち着いていった。たとえば、先ほど、佑に学がひかれていく過程を描こうと考えていたと言いましたけど、それもトウコを中心に置くことで、彼女の学への愛から佑の存在が浮かび上がるという、語らずとも伝わる表現に変わった。
 
当初は、人が木になってしまう瞬間も映像で見せようと思っていたのですが、トウコを中心にすることで、そういう瞬間を見せる必要がなくなった。特撮とかアニメーションとかで直接みせるよりも、役者たちの演技で想像させるほうが作品世界にマッチしている。撮影を務めた藤田(恵実)もそう考えていて、いろいろできたはずなんですけど、あえてしなかった。ですから、この作品に関しては、創っている段階から、自分の手から離れて旅立っていくような感覚がありました。
 
 
ーートウコが主役に足る存在感を放つ人物にできたから、それも成り立ったのかもしれません。彼女は自分の愛が届いていようといまいと、その愛の行く先を自らの手で切り拓いて、確かめようとする強さがあります。
 
先ほど、僕は能動的になれないと言いましたけど、だからか、どうにも映画で能動的な人物が描けない。なので、受動的な人物が主人公になることがままある。流れていく事柄に対して、自分が突っ込んでいけないので、能動的な人物を描くのがほんとうに苦手なんですよね。どう扱っていいかわからなくて。だから、安全策というわけではないんですけど、自分も感覚がわかる受動的な人間を主人公にしてしまいがちなんです。そういう意味で、学が主人公のときは安心していれたんですけど、トウコを主人公にした瞬間からもう自分では制御不能というか(苦笑)。もうトウコにその都度、向き合ってくらいついていくしかない。
 
それと、これは役者たちの演技のおかげでもあるんですけど、自分で変にいじれないというか。確固たる事実みたいなものが撮ったものに宿ってしまっていて、もう自分が介在できない。シーンとシーンも、断ち切れないぐらいの結びつきみたいなものができていて、おいそれと編集できない、崩せなかった。
 
だから、自分でもこの作品をどう受け止めていいのかわからないところがあるんです。愛してはいるんですけど、なにか愛せないときもあるというか。
 
いままでの映画はもうちょっと紙飛行機ぐらいの感じで。僕自身の手でどこかへ飛ばせた感覚があった。でも、今回は大きな岩のようにどかっとその場から動かない。自分では動かしようのないどっしりした映画になった気がしています。ただ、当初とは予期しなかったことに取り組むことで、自分の新たな扉を開いてくれたと思っています。
 
 
ーーここまで話に上がっているトウコ役は、紫藤楽歩さんですが、強烈な印象を残します。
 
楽歩さんはオーディションを受けてくださったんですけど、そのときから違ったというか。切り拓けないとわかっている道でも切り拓いていくような姿勢があって、もうトウコだなと思いました。
 
これまで幸運なことに、僕は作品ごとにすばらしい役者さんに出会っている。でも、役者が喜ぶようなことを全然させないんです。たとえば、感情を爆発させるような演技をさせない。その役がキャラクター化してしまうような“色”がみえた瞬間に「ちょっと押さえてもらえますか」となってしまう。役の色じゃなくて、その人自身の色が見たくなってしまう。その人がもっている業のようなものが出ていると強く惹かれるんです。今回の4人の役者さんは、それぞれの見ている世界がまったく違う。中でも楽歩さんは、どうにも抑えられない本心みたいのが出ていて目が離せなかったです。
 
 
ーー学役の菊地虹さんは実際にペインター・画家として活躍されているんですね。
 
画家の役となったときに、画を描いている動作はごまかせないのではないかと思いました。画を見るシーンひとつとっても、実際に画を描いている人が見たほうが真実味がでるんじゃないかと。
 
それで、藝大の同期に菊地さんを紹介してもらいました。 実際にお会いしたら、勝手に木の話とか始めてくれて、おもしろい。帰り道でプロデューサーと「菊地さんでいきましょう」と話はもうまとまっていました。お芝居ははじめてで、リハーサルではちょっとうまくいかないときもあったんですけど、実際にクランクインしたら、もう学になっていたので、なんの問題もなかったです。作品内の絵は菊地さんが描いています。
 
ーー主な舞台となっている日本家屋は、ある種、もうひとりの主人公のような存在感を放っていました。
 
最初は洋館を想定していたのですが、なかなか貸していただけて望むような建物が見つからなかったんです。それで苦肉の策ではあったんですけど、製作部が見つけてきてくれた古い日本家屋というのが悪くないなと。実際、印象的な場所になってくれてよかったなと思います。
 
 
ーーでは、後にこれまでのキャリアについてもお聞きしたいのですが、映画の道に進もうと思ったきっかけは? 先ほど『ゴジラ』をはじめとした怪獣映画や特撮映画が原点にあるとおっしゃってましたが。
 
実際に映画監督になろうと思ったのはたしか小学校の4、5年ぐらい。監督がなにをするかは当時まったくわかっていなかったのですが、物語を作ったり考えたりするのが大好きで、それを叶えるのだったら、映画監督か、脚本家か、漫画家なのかなと思っていました。小学校の卒業アルバムに将来の夢に『映画監督』と書いて、ならないとダメだなと思ってやっていたら今に至っています(笑)。
 
 
ーーそもそも映画が好きになったきっかけは?
 
父が映画が大好きで、それで怪獣映画やたとえば『ターミネーター』といったハリウッドのSF映画をよく観るようになりました。それがはじまりです。
 
 
ーー先ほど高校時代に『ある作品との出会い』があって、さらに映画の道に進もうと思ったと話されてましたが。
 
父もさることながら、兄もめちゃくちゃ映画を見る人で。兄は当時、たとえば岩井俊二監督の映画とか、韓国映画とかをよく見ていました。僕は怪獣映画やバトル・ムービーばかりでしたから『なんか暗くて怖そうな映画ばかりみているな』と思っていたんです。ただ、その中で、ケン・ローチ監督の『SWEET SIXTEEN』は心に刺さったんですよ。おそらくこの作品が僕が観た、怪獣の登場しない、いわゆるふつうの人間の日常で構成された初めての映画でした。映画はこんなこともできて、こんなに心を鷲掴みにされることがあるんだと思いました。それから本格的に映画監督の道を考え始めたと思います。
 
 
ーー先ほど触れましたが、大学は武蔵野美術大学に進まれています。
 
武蔵野美術大学は映画学科ではなく映像学科だったので、アニメや写真、パフォーマンスや実験映像など幅広く映像を作っていました。
 
よって全員が映画作家を目指しているわけではない。映画を撮るとなっても、ちょっとカメラがうまいやつに頼むみたいな、映画の特定の技術を持った人間はいない。みんな作家、アーティストなんですよね。
 
だから、ちゃんとした映画の現場を踏んだ感じはなく、自己流で卒業してすぐに映画監督として活動する自信がなかった。あと、武蔵野美術大学の卒業制作で90分ぐらいの映画を作って、それなりの手ごたえもあったんですけど、逆に謎が深まったといいますか。映画を作れば作るほど、いろいろなことを体得して理解が深まると思っていたら、やればやるほど、わからないことがどんどん増えていった(苦笑)。
 
そのわからないことのひとつとして、監督はなにをすべきなのか、監督はどういう仕事をしないといけないのか、が最後までつかめなかった。仲間と一緒に勢いに任せて作る感覚は、確かに楽しかった。でも、これがディレクションなのかなと。実際の映画の現場で通じるやり方じゃないだろうことは想像がつくし、もうちょっと監督としてのテクニックを身につける必要性を感じました。
 
 
ーーそこで、東京藝大大学院映像研究科映画専攻監督領域に進まれ、諏訪敦彦、黒沢清両氏に師事することになる。
 
ええ。もう少し映画作りを追求したかった。あと、脚本家であったり、俳優であったり、美術や照明であったり、専門的な部署を目指す人がいる場に身を置きたい気持ちがありました。一か八かでしたけど、東京藝大大学院映像研究科を受けて、なんとか無事に進むことができました。
 
 
ーーそれで、完成したのが今回の『Song for Laurel』ということですね。こうしてできた作品が入選した感想は?
 
僕自身は恥ずかしながら、SKIPシティの映画祭に一度も足を運んだことがないんですけど、知り合いや参加したことがある人から、いい映画祭だと伝え聞いていたので、うれしかったです。オンラインのみになってしまったのは残念ですけど、今は、いろいろな人にみてもらえる機会になったと前向きにとらえています。
 
 
ーー映画祭に期待することはありますか?
 
1人でも多くの方に観てほしいです。正直言うと、今回の入選の知らせがあるまでは、めちゃくちゃ自信がありませんでした。『おもしろくないんじゃないか』と思う時もありました。修了制作展で上映した時はありがたいことに、思いの外好評で、しかしそれ以外の反応はまったく聞いていないので、今回どんな反応があるのか楽しみです。
 
あと、ひとつ恐縮なんですけど、お願いがあって。音も頑張って、サントラは一からこだわって作っています。ぜひできるだけいいスピーカーで聴いていただけたらうれしいです。
 
 

文・写真=水上賢治

 
『Song for Lauel』作品詳細
 
 


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