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【インタビュー】『バトルクライ』谷中屋監督
ーーまず、今回の作品『バトルクライ』はほぼひとりで制作したとのこと。これだけの作品をたったひとりで作られたことに驚かされます。なぜ、ひとりで?
気づけばそうなってしまっていたといいますか(苦笑)。
少し話は長くなりますが、もともとは実写映画を作りたかった。高校時代、本が好きでいろいろ読んでいたんですけど、ひとつの物語を作りたくなって、それを表現するには映画がいいんじゃないかと。まあ、思い付きなんですけど。
それで、大学に進んで映画を専攻しました。映画というか映像学部で、そこで勉強しました。私が主に受けていたのは、脚本を書く講義。それを重点的に取って、卒業間際に実写の短編を撮りました。それが私の中でのいまのところの唯一の実写映画です。
大学卒業後、しばらくインターンだったり、映像プロダクションでアルバイトをしていたのですが、最終的に広告系の映像会社に入りました。ただ、そこがあまり自分には合わなくて…。体調を崩したりもしてしまって、1年もしないで退職してしまいました。
このことからしばらく映像とは離れたいと思って、映像とは無縁の仕事に就き、仕事は仕事としながら、時間のあるときに自分の作りたいものを自分で作れればいいといったスタンスで創作を始めました。
ただ、脚本を書き上げて、絵コンテまでいっても、そこから先に行けない。実写映画となると多くのスタッフが必要ですけど、私にはほとんど伝手がない。お金も必要だけど、それもない。
それで実写映画は無理となったときに、CGアニメーションならば作れるのではないかと思いついたんです。でも、そんなに甘くはなかった。当時は、CGの技術が足りなくて、まったくなにも描けなかった。ですから、いま30代半ばなんですけど、20代の間はほとんどなにもできないで終わりました。
ーー一度はアニメーションも諦めたわけですが、そこから作ることになったのはどんなきっかけで?
AdobeからFuseとMixamoというソフトが出たんです。CGって建物といった無機物を作るのはある程度できるんですけど、人物を作るのがとても難しい。でも、Fuseは、キャラクターの原型を簡単に作ってくれるソフトで、それである程度、人物を難しい技術を使わずに作れるようになった。Mixamoを使うとアニメーションもある程度、簡単に作ることができる。そのおかげで、私でもアニメーション制作ができるようになって、3年ぐらい前に初めて短編のアニメーションを完成させました。
だから、あまりいい話ではないですけど、本当は実写映画が撮りたかったけど、挫折を繰り返すうちに、最後にひとりで作れるCGアニメーションに創作の場を見つけたといった感じです。
ーーそうして自主制作で発表した短編アニメーション作品が国内の映画祭で上映され、評価を受け、今回の長編へとつながっていったと思います。短編から長編というのはなかなかハードルが高かったと思うのですが?
短編作品で、いくつかの映画祭に参加したんですが、ほかの作品を見るとものすごく芸術性が高い。短編アニメーションの世界というのは、人物が本当に生きているように動くとか、どれだけ美しい絵を描けるかとか、映像を追求したような作品が多かった。
一方で、ストーリー性に重視した作品はあまり見当たらなかった。
自分が一番やりたかったのは、物語を描くことで。実写と見まごうような美しい画は描けない。だから、画に関してはソフトに頼っているところがある。
やはり自分の中心にあるのは、人を惹きつけるような物語を作り上げること。それが1番できるのは長編ではないかと思いました。だから、もちろん大変なことになることは予想できましたけど、躊躇することはなかったです。
ーーそのオリジナル・ストーリーは、1980年代、架空の日本が舞台。休暇で日本に帰国していた兵隊のソウジが、世界銀行から派遣されたハヤと出会い、巻き込まれる形で、日本社会に蔓延するゴールデンモンキーという麻薬の実態を探るミッションに挑むことになっていく。舞台設定にしても人物設定にしても、物語の背景にしても、非常にいまの社会が透けて見えてくるところがあります。アイデアの大元はどういったものだったのでしょうか?
物語の形式として意識していたのは、レイモンド・チャンドラーの小説がわりと好きで、彼の探偵小説っぽいものを作りたいなという考えがまずありました。あと、ストーリーの構造としては『ツイン・ピークス』に似ているかなと。なにか謎があって、主人公たちが追求していくんですけど、話が進んでいくうちに謎はさほど大切ではなくて、その謎に絡む人間模様が前面に出てくる。そういうものを作りたい意識がありました。
ーー1980年代、架空の日本という設定にしたのは?
まず、『ブレードランナー』をはじめ近未来という設定はやり尽くされているので避けたい気持ちがありました。その中で、むしろ未来より過去のほうがおもしろいことができるのではないかと。フィリップ・K・ディックのSF小説で少し前にドラマ化された「高い城の男」のような歴史を改変した世界がいいんじゃないかと思って、この設定になりました。
ーーほかにも日本国立軍学校というものが登場したり、放射能の問題が背景にあったり、麻薬が物語に深く関わっていたりと、数年の日本を語る上で欠かせない問題が盛り込まれています。
軍学校でいうと、日本というよりもアメリカの社会を意識しました。アメリカが軍人をリクルートするときに、貧しい家庭の子どもをリクルートするシステムがある。そのことが引っかかっていました。将来が見通せない若者を、救いの手を差しのべる形で軍にいかせて、そういう兵士たちが戦場の最前線に立って命を落としていく。社会の矛盾、国の偽善のようなことが現れているような気がして。
主人公のソウジはみなしごで、生きていくために軍に進んだ。そこで未来を切り開いていくといったところにつながっています。
放射能に関して言うと、長崎や広島の写真も出てきますけど、チェルノブイリの原発事故を意識しました。この事故のとき、多くの人たちが被ばくの影響で甲状腺がんの手術を行った。ソウジのクビにある傷はそうで、肉体的な傷と心の傷を両方表現できないかと考えました。チェルノブイリが気になっていて、甲状腺がんの施術の喉の傷は、心の傷と肉体的な傷を表現できないかなと。
麻薬に関してはたまたまです。ただ、わりと私は歴史の本を読むのが好きで、ニュースもよく見ています。なので、そのあたりで蓄積されたことがアウトプットされているところはあるかもしれないです。
ーーソウジとハヤが奔走する東京の街なみも非常に印象的です。
プレスの方に「香港のよう」と書かれたんですけど、それはその通りで。ただ、私が参考にしたのは、もういまは無くなってしまったんですけど、川崎駅の近くにあった、ゲームセンター「ウェアハウス川崎 電脳九龍城砦(じょうさい)」です。
このアミューズメント施設は、香港の中国返還に伴って消失した巨大なスラム街「九龍(クーロン)城」をモチーフにしている。そのゲームセンターを参考にして街の美術設計はしていきました。多国籍でいろいろな人間が生きている「移民村」みたいな東京をイメージしていて、どういう街なみがいいのかなと思ったとき、香港じゃないですけどウェアハウスみたいな雑多な雰囲気がいいのではないかと思いました。
ーーそういったアニメーションならではの映像世界も魅せられるのですが、ソウジとハヤの凸凹のやりとりが楽しく、バディムービーっぽいノリがありますね。
私は先ほどいったように画に関してはソフトにかなり頼っている。アニメーションのプロではないので、人を驚かせるような画が描けるわけではない。脚本で勝負するしかない。そこで頑張るしかないんです。なので映画全体を通して、観終わったときに「おもしろかった」と思えるストーリーを追求しているところはあります。
ーーでも映像も相当なレベルだと思うのですが?街の造形にしても大変だと思います。
いや、建物って力業でなんとかなるんです。頑張ればなんとかなる(笑)。
ーーただ、通常のアニメーションならばパートごと担当者がいて、キャラクターデザインであったり、美術設計であったり、それぞれの職人が手掛けているわけですけど、それを全部ひとりでやっているわけですよね。それを聞いただけでも大変だと思います。
私はアニメーション業界にいたわけではないので、通常のアニメーションがどうやってできていくのか、製作過程の本当のところはわからないんですよ。
私のやり方はまず背景を作ってしまう。一度、背景を作るとカメラはどこにでも置けて、人物もどこにでも置ける。たとえば居酒屋のシーンだったら、居酒屋をまず作って、その後に人物を作って、それから動かす。ひとつのシーンアセット(実写でいうところのセット)を作るのにだいたい1週間くらいで、そこからキャラクターを動かしていきます。
アニメーションの現場を経験していないので何とも言えないんですけど、プロのアニメーターの方からみると、ひどく非効率なのかもしれない。でも独学なので、現状はこういうやり方でやっています。
だから、物語があって、ぴったりの場所を見つけて、そこでキャラクターにアクションしてもらう。撮り方は実写に似ているかもしれないです。
ーー声優は声優養成所の学生たちにお願いしたとお聞きしました。これはどういった経緯でそうなったのでしょう?
録音のスタジオを探していたときに出会った、スタジオのエンジニアさんが、たまたま声優の養成所の学校の方に知り合いがいて。声優を探していると言ったら、ご紹介してくださったんです。そこからオーディションをして決めていきました。
ーーたとえば、ソウジとアヤの声に求めていたことはどういうことでしたか?通常のアニメとは少し違う。実写映画の俳優の演技のような声をあてていますよね?
もともといわゆるアニメのキャラクターのようなアニメ声のような感じじゃないと思っていて。普通のアニメーションだったら、もっと声に緩急をつけるというか。抑揚をつけて際立つ感じにすると思うんですけど、私はニュートラルな感じを求めていました。普通の人間が対話するようなしゃべり方にしたいなと。
ソウジに求めていたのは、あまりかっこよすぎない声。主人公でヒーロー然とした感じじゃなくて、彼の抱えている心の闇を感じさせるような弱さと悲しさを帯びている声がいいと思いました。
ハヤに関しては、凛々しさとかわいさの両方をもっている。普通はクールだけど、たまに変なことを言って愛嬌がある。そういうある意味、真逆の感じを持っている声がいいなと思って、実際、ぴったりの人が見つかったかなと思っています。
ーー大変な作業を経て、ひとりで長編を完成させたときは、やり終えた感覚があったのでは?
3年ぐらいかかって、今年の4月に一応の完成となったんですけど、実はまだ終わった感じがない。個人的に「あそこ直さなきゃ」といったところがあって、まだ終わっていない感じです。
ーーでは、今回、入選の報せが来たときの心境は?
なによりうれしかったのは、さきほど触れた声優養成所の学生さんに吉報を届けられたこと。当然ですけど、声優の養成所で学んだからといって全員がプロになれるわけではない。少し残酷な話になるかもしれないですけど、彼らに中にはこの『バトルクライ』が最初で最後の仕事になる人もいるかもしれない。それが世に出ることができた。多くの人の目に触れる機会を得た。その喜びが、一番うれしかったです。
あと、本当に才能のある人は大学から活躍して飛躍していると思うんです。でも、私は挫折の連続で一時期は作ることもできず、30代半ばの今になってようやく長編映画を作ることができた。もう、その差は歴然。だから、今回、SKIPシティ国際Dシネマ映画祭で選んでいただいたことはうれしいですけど、もうこれ以上のことは望んではいけないと思っています。これ以上になにかいいことが起きるのは求めすぎじゃないかと思っています。
ーー今後もアニメーションを発表していこうと?
現段階では、また作る機会があれば、という感じです。現時点でもアイデアのストックはいっぱいあります。でも、自分が作りたいものと、作るべきものは違うのではないかと私は思っています。自己を満足させるためだけではなく、観客が見たいと望むことを意識した作品作りを目指している。ですから、人々の心に届くようなエンターテインメント性と、自分の作りたいものが合致したら考えます。
文=水上賢治